播州にも、日々晩秋が迫ってきています。小生の住む加古川市平荘町「里」は偶然にも、昭和生まれの私達が何度も過去に歌った童謡の「里の秋」のようです。昭和16年に作られ、まさしく戦中唱歌。歌詞も旋律も物悲しく、母娘が遠く南の島の戦場へ送り出した父の安否を想いだし、ご無事での帰還を待ち望む姿が歌詞になっています。滅多に吹かぬ、小生のヘタなハモニカも、歌詞を思い出しながらしんみりと音を出してみたくなる、大好きな唱歌の一つです。まさしく暮れかかる晩秋の歌だと思っているのです。
さて我が家にも「小さい秋」がきました。コロナ禍の1年前に、家の裏の古民家を潰して更地にしました。更地にすると思っていた以上に敷地が大きく、さてこれからの維持管理の難しさが頭を過った。「そうや、子供の頃欲しくてならかった柿の木を植えよう」。一層、ミニ果樹園にしたらとの思いが沸き上がり、その冬甘柿、渋柿、レモンや柚、無花果の小さな苗木を買い求め、ランダムに植え付けた。「桃栗3年柿8年」との諺通り、柿の収穫を見届けるまで、元気で暮らせばならないと新たな生きる力が湧いてきた。時間の許す限り裏の空き地で石ころを拾い、雑草を引く等の作業を毎日の日課として勤げんだ。昨年初めて無花果が50個程実を付けた。 買ったのと違い完熟の無花果の味は「これでもか!」と言うくらい旨い。生産者しか味わえない、贅沢な味を知ったのです。晩秋と共に無花果の熟れは少なく、代わりに数個の柿が色づいて来ている。春には多くの花が咲き、小さい実を多く付けたが、一カ月後には大半の実が落ちた。柿に付くヘタ虫の予防をしていなく、慌てて殺虫剤を撒いたが、時すでに遅し。でも太秋柿が5個、ひらたね柿が30個程少し色づいている。また、20年来のキウイは空梅雨のためか、鈴なりになっている実はどれも小さく、自然には勝てないと実感しました。
一方我が家の外では、黄色の穂が秋風に揺られている。播州米の収穫が後10日もすると、一斉にはじまるだろう。昔の様な稲刈りの風情が見られない。小生が中学生のころなど家中、親せきも巻き込んでの稲刈りは人界戦術であった。放課後など、親せきの農家に手伝いに行かされ、夜星が出る頃まで働かされていたことを思い出すが、今の時代はコンバインや乾燥機等機械化が進み、男が一人で、刈入れなら一反を小一時間で出来るそうだ。反面、私の周りにも休耕田が多くみられ、3年も放置をすれば雑木が生え、小さな森化が進んでいる。ここ半世紀、農業も随分変わった。効率面を重視し区画整備などを進めたが、取り残された農地は、より高齢化が進み、若い人は農業では生活が出来ないと、皆街へ出ていく。暮れいく秋の風景を見ていると、複雑な気持ちになって来る。
歳も行き、自分の事すらできなくなってきている今、政治に期待するしかないのかな?温暖化が叫ばれて久しいが、今地球が瀕死の状態にあるのだと、周りの植物が教えてくれる。加古川近辺の暮れ行く秋の風景は変わらないように思うが、実情は毎年、毎年廃墟化しているように思えてならない。寂しい事である。
完熟の無花果は、本当に旨いですよ。是非加古川にお越しください
LSC関西兵庫ブロックは、毎年忘年会を加古川で開催しています。理由が分かりますか?
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投稿編集 散歩みち撮影 安樂秀典