私のふるさと呉市は、広島県南部、瀬戸内海に面した街です
旧市街は三方山(休山、灰ケ峰)に囲まれ、呉湾を囲むように倉橋島、江田島等の島々が隣接する、温暖な気候風土の街である。最近、長編アニメーション「世界の片隅に」がヒット、その舞台としても脚光を浴びた。明治時代、富国強兵策の一環で海軍の鎮守府が置かれ、その後海軍工廠が誕生、海軍と共に発展した街である。
戦前は人口40万人を越す都市、現在は20万人。広島市、福山市に次ぐ第三の都市である。平成の大合併により呉市の行政範囲は拡大、倉橋島、安芸灘の島々も呉市に編入された。歴史に翻弄されながら発展を遂げてきた呉を、観光という視点から述べてみたい。
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ドライブスポットとしてお勧めが灰ケ峰(737m)展望台です。呉の街、呉湾、瀬戸内の島々が一望できます。特に夜景はお勧めです。
倉橋島(日本書紀)は、「遣唐使船のふるさと」として知られています。19隻/全24隻この地で建造されたとの事。この島・桂浜には「長門の造船歴史館」があり、復元した原寸大の遣唐使船が展示されている。
平安時代、瀬戸内の海運を支配下においた平家一門(平清盛)が、厳島神社造営や倉橋島と本州の間、狭き浅瀬を開削し海運に貢献した「音戸の瀬戸」がある。潮の満ち引きが大きく、難所の一つ。現在は橋が架かり(第一、第二音戸大橋)公園が造られ、瀬戸内海の景観が楽しめる場所となっている。
江戸時代には帆船が建造され、沖乗り中心の航海に変化。それに伴い瀬戸内海は西回り航路の中心として発展。大崎下島の「御手洗」は潮待ち、風待ちをする船が多く立ち寄る中継基地として栄え、江戸時代の風情が残る町である。この大崎下島には、本州より「安芸灘大橋」「豊島大橋」等からなる「安芸灘とびしま海道」が開通し、瀬戸内の景観が楽しめ、多くのサイクリストが集まるエリアです。
明治時代、海軍の鎮守府、造船部(後の海軍工廠)、対岸の江田島には海軍兵学校が出来、海軍と共に発展していく。呉海軍工廠では戦艦長門、戦艦大和、航空母艦赤城等幾多の艦船が誕生。造船施設は「ジャパンマリンユナイテッド呉造船所」となり、大型船舶の建造を行っている。
現在も呉鎮守府の庁舎、長官宿舎等が残り、海上自衛隊呉地方総監部の施設として利用。海には海上自衛隊のヘリコプターキャリアーや潜水艦が係留されている。呉湾を就航する「艦船クルージング」はお勧めである。
2005年造船技術を後世に伝えるため「呉市海軍歴史科学館(大和ミュージアム)」を開館。多くの見学者で賑わっている(コロナ禍時期は除く)
記憶に残る観光スポットに焦点を当て述べてきたが、私の大好きな呉は、明るく穏やかな瀬戸内海の海と小島の景観が一番である。食レポもしたいが、思いつくのは新鮮な魚(メバル、小イワシ)、海軍カレー、お好み焼き(呉焼き)位~。
投稿編集 安樂秀典