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奄美大島徳之島旅行 ~亡き父のルーツを訪ねて~ 正木伸治記

西日本

奄美大島徳之島旅行 ~亡き父のルーツを訪ねて~

44年前に亡くなった父の故郷を訪ねる旅。
令和4年(2022年)2月6日~11日 5泊6日

父は、小学生のころ大阪に出て来て以来、亡くなるまで一度も故郷に帰ったことがなかった。その父の写真を持っての徳之島訪問である。
NHKのテレビ番組で「ファミリーヒストリー」という俳優の実家のルーツを訪ねて、そのルーツをサーチすると云う番組がある。今回は、それを真似ての旅である。後日NHKで放送する。(笑)ただし、家系的なことは調べず(調べるのは僕自身の力だけでは不可能なので。)、ただただ、父の生まれ育った場所を探すだけである。

1日目 2月6日(日)

2月6日に奄美大島に到着して、すぐにレンタカーを借りて観光に出かけた。天候は曇り時々雨であった。糞コロナの為に観光地も飲食店も休みのところが多数。観光場所としては、ネットで調べた田中一村記念美術館、奄美パーク、大島紬美術館、ハートロックの予定だったが、観光出来たのは、砂浜のハートロックだけ。このハートロックの場所は非常に判りにくかった。大きな岩にハート状の穴が開いているのを想像していたが、実物は、潮が引いた後に出来る岩場の水たまりというもので、その形がハート型であるということ。幸い到着時は干潮であり、ハートロックが確認できた。(満潮時には見つけることはできなかったはず。)

潮の引いた後の水たまりがハート型になっている

ハートロックにて 僕の顔の形もハート??

女性が立っている左前がハートロック こんな場所にある 満潮では完全に隠れる

この後、すぐにホテルに向かった。旅の楽しみは、ご当地の美味しいものを食べるのも一つである。しかし、このコロナ禍で居酒屋、レストランともに休みのところが圧倒的に多く、開いているところも時間が20時までで、アルコールの提供もなし。せっかく楽しい旅行に来て、アルコールなしの食事は、お酒があまり強くない僕にとっても少し興ざめ気味になる。結局、スーパーで弁当を買い、ホテルの部屋での夕食となってしまった。(泣)
当初から想定していたものの、ここまでとは思わなかった。まあ、承知の上での旅行だから仕方のないことである。

2日目 2月7日(月)

2日目は、今回のメインイベントである徳之島に上陸。
奄美大島から飛行機で飛び立ち11時ころに徳之島にトウチャコし、さっそくレンタカーを借りて観光開始。
残念ながら、今日も昨日に続き曇天。幸い雨は降らなかったし暑くもなく寒くもなく、丁度よい気候だった。欲を言えば、快晴だったら、どんなに素晴らしい風景だったのかと思うと返す返すも残念だった。
この日の観光は、屋内の施設はなかったので、昨日のように休館とか休園もなく、すべて予定地を回ることが出来た。
与名間ビーチ、ムシロ瀬、金見崎ソテツトンネル、畔プリンスビーチ、母間(ぼま)ハートを観光した。徳之島は、圧倒的に山が多い島なので、海沿いの観光地ばかりであった。

まもなく徳之島にトウチャコ いよいよ父の生まれた島に上陸する

徳之島空港(徳之島子宝空港)

与名間ビーチ ここで毎年トライアスロンが開かれている 天気が良ければもっと素晴らしい景色

ムシロ瀬 大きなごつごつした岩が並んでいる

金見崎ソテツトンネル 散策道の両端にソテツが並んで生えている

金見崎ソテツトンネルの先の岬 雄大な海岸線を臨める 同行のTさんと一緒に

畔プリンスビーチ 先般の小笠原の海底火山噴火で流れ出した軽石が綺麗な砂浜を覆う

畔プリンスビーチで同行した父母の写真と3ショット 天気が良ければもっと綺麗な海なのに!!

母間(ぼま)ハート 自然に出来たハートと思いきや防波堤の人工のハートだった。

当初、何処にあるのか判らず通りかかった郵便配達員に聞いて初めて所在場所がわかった。少し興ざめ。

母間(ぼま)ハート 横に幸せの階段がある このハートの中に恋人同士の2ショットがあれば素敵

やはりコロナの為、観光地は貸し切り状態で、誰も人がおらず快適な観光が出来た。
楽しみにしている夕食は、昨日と同様、アルコールを出す店はなく、またもやスーパーで弁当を買って部屋で食べた。でも、まあこんな旅もあっていいだろう。(その分安くつくが。)

スーパーで買った弁当とビール等 味気ないが仕方なし(笑)

3日目 2月8日(火)

3日目は、いよいよ今回旅行の主目的である父の生地の場所を探した。父の生地を探すと同時に、もちろん観光もした。この日は朝方は曇っていたが、車で走っているうちに快晴となり、はり父が配慮してくれたのかもしれないと思ってしまう。
観光した場所は、徳之島なくさみ館、犬田布岬、千間海岸、犬の門蓋。そして、この日の最終場所として父の生地を探すことになった。

徳之島なくさみ館 闘牛場であるが、スペインのような闘牛ではなく牛と牛との闘いである

この場所で牛と牛が角を突き合わして闘う

僕が行司しています??? はっけよーい、残った残った??

犬田布岬

犬田布岬展望台よりの眺め

犬の門蓋 突端部 とげとげしい岩が連なっている

犬の門蓋 メガネ岩

ウンブキ 鍾乳洞の一種

父の生地を探すについては、事前に役所に昔の戸籍謄本に書かれた住所で確認したが、地名などが変わっており判らなかった。何しろ、父が徳之島を離れたのは、今から95年程前のことであり、当然何回も地名が変わっているかもしれないので無理もないことである。だから、戸籍謄本の住所に近い場所の見当をつけて探すしかなかった。
戸籍謄本に書かれたあった住所は、鹿児島県大島郡天城町西阿木名55番の1でGOOGLEマップで、その住所を探したが該当なしであった。まず、最も近いと思われる天城町立西阿木名小学校三京分校を目指して行った。
その学校まで行ったものの、この先どう探してよいか判らない。とにかく、地元の人に聞くしかないので、小学校のそばにあった牧場の人に聞いた。地元の人たちは、非常に親切な人たちで親身になって聞いてくれた。
結局は、西阿木名といってもすごく広く、55番というのは全くこの辺りではないとのことで、西阿木名小学校本校の近くに郵便局があるので、そこで聞けば判るのではとアドバイスしてくれた。
とにかく、藁をもつかむ思いで西阿木名郵便局に行くことにした。その郵便局を訪ねたら、また、その郵便局の人たちも皆、本当に親切で有り難く嬉しかった。
郵便局の人たちは、若い人たちなので結局判らず、郵便局の裏に元郵便局長が住んでいるので、その元郵便局長に尋ねたら判るかもしれないとのことで、郵便局裏の元郵便局長の家を訪ねた。そして、またまた本当に本当に親切な元郵便局長で、親身になって探すのを手伝ってくれた。
元郵便局長曰く、基本的に地番というのは殆ど変わらず、地名が変わるとのことで、昔の地番表を出してきてくれた。その郵便局の地番は316番地で郵便局の前の道路を挟んだ地区が55番に近い場所だったのである。
そして、よく見るとあったあった。55番の1があったのである。何だか亡き父が誘導してくれた気がして本当に感激した。すぐにその55番の1辺りに郵便局長と一緒に歩いて行った。
郵便局から歩いて5分くらいのところである。全く偶然というかラッキーであった。郵便局と近い場所にあったことが奇跡にように思えた。
55番の1辺りは、家はなく草が茂っていて何もない場所であったが、100%とまではいかないが、99%この場所が、父の生まれた場所であると確信した。もちろん、父が生まれて育ったことを知っている人は辺りにはいない。何せ95年も前のことである。でも、そのようなことは一向に構わない。この辺りが、父が生まれ育った場所であることさえ判れば満足である。
以前から、一度訪ねてみたいと思っていたものの、今になってしまったが、目的は達成した。父が亡くなる少し前の写真を持ってきていたので、その写真と一緒に記念撮影した。きっと父も喜んでくれていると思う。僕が持っていたイメージの父の生地は、もっともっと山の中の辺鄙なところかと思っていたが、メイン道路に近い場所であったのが意外であった。目的が達成できたのは、本当に本当に親切な地元の人達のお陰である。感謝しても感謝しきれないほどである。

本当に親切な元郵便局長と一緒に西阿木名郵便局前にて

地番地図 西阿木名郵便局は316番地 父の生地は55番-1 道路を挟んでほんの目と鼻の先

今は雑草に覆われた父の生まれた場所にて父母の写真と一緒に記念撮影

4日目 2月9日(水)

4日目は奄美大島に戻った。この日の観光は、土盛海岸、あやまる岬観光公園、笠利崎灯台、崎原ビーチ、倉崎海岸、西郷南洲流謫跡(閉館中)、奄美自然観察の森、奄美観光ハブセンター(閉館中)を回ったが、自然観光地以外はコロナのため閉館中であった。

土盛海岸 ここでも軽石が押し寄せていた

謝っていないけれど「あやまる岬」の展望台

崎原(さきばる)ビーチ 雲が無かったら素晴らしい海と空の色のコントラストであったであろう

西郷南洲流謫跡(閉館中)

奄美自然観察の森の展望台からの眺め 天気が良ければなあ 残念

今回の旅行では、食事場所に苦労した。昼食の場合は、道路沿いに飲食店が少なく、そして、夕食は、アルコールを提供する店が、ほとんどないので、すべてスーパーから弁当とビールを買ってきて部屋食となってしまった。しかし、この日の昼食は、倉崎海岸にあるお洒落なレストランがあって、結構美味しい、アサリのいっぱい入ったアサリほうれん草クリームスパゲッティを食べた。

久しぶりにまともな食事 アサリがいっぱい入ったアサリほうれん草クリームスパゲッティ

倉崎海岸 ちょっとおしゃれな「レストランフォレスト」

5日目 2月10日(木)

5日目は、朝から雨で一つ目の観光場所は完全に雨。しかし、それからは雨もやみ、場所によっては晴れ間がさした。その後、曇っていたが、雨には合わずに今回ツアーの観光を終えた。

今日観光した場所
黒潮の森マングローブパーク(休園中)、ホノホシ海岸、湯湾岳展望公園、マテリヤの滝、大浜海浜公園、以上を回ったが、特に印象的な場所はなかった。あえてあげれば、湯湾岳展望公園くらいか。

黒潮の森マングローブパーク ご覧の通り休園中(泣)

ホノホシ海岸 波で削られた丸い石ころがゴロゴロ 潮騒の音が印象的であった

ホノホシ海岸にて  雨も上がり気持ちの良い日和になった

ハート形をした湾 奄美大島、徳之島ともにハートにまつわる観光地がある

湯湾岳展望公園 またもや曇ってきて絶景が台無し

マテリヤの滝 かなり山奥にあった

旅を終えて

旅をして観光する、美味しいものを食べる、綺麗な景色や特殊な場所を見たり、地域の風土や文化を見たり体験したり感動したりというのが一般的な旅の目的だと思うが、今回の旅は、もちろん一般的な旅ということもあるが、父の生まれた場所を訪ねるというのがメインの目的であった。このような趣旨の旅は初めてである。そして、目的を無事達成出来たのは何よりであったと思う。
僕は、人生の大半を生きてきて、この歳になって、いつも、いつ死ぬかしれないと思いながら生きている。(決して悲観的な意味ではない。)もちろん、長生きはしたいものの人間の命など儚いもので、早い遅いはあっても必ず死ぬのである。だから、気障な言い方になるけれど、いつも死というものと背中合わせに生きていると考えている。それは、若くても年寄りも関係なく、誰にでも言えると思っている。
いつも旅に出るときは、生きて帰宅出来るかと思いながら家を出ている。今回も同じことであった。しかし、今回も何らトラブルもなく無事に生きて元気に帰宅出来たことを嬉しく思っている。
僕自身、神様や仏様はあまり信じない方であるが、きっと、天国の父や母が守ってくれたのだと月並みな言い方であるが考えてしまう。これで、また次の旅に向けて楽しい計画が生まれてきた。
生きている限り、人生を思い切り楽しむぞー。

**添付ファイル  もしよろしければ、奄美大島・徳之島旅行をされるのなら参考にして下さい。

1.奄美大島徳之島旅行日程他
2.奄美大島観光案内とルート
3.徳之島観光案内とルート

奄美大島観光案内とルート.pdf
奄美大島徳之島旅行日程他.pdf
徳之島観光案内とルート.pdf

編集担当 正木伸治

西日本

コメント

  1. 宮﨑 俊博 より:

    私もタイの子会社に関係していた頃、休日に子会社の運転手に頼んで、ビルマで終戦を迎えた父が一時抑留されていたタイの収容所跡を探したことがあります。この辺りらしいという所の写真を撮って父に見せたら、この山には見覚えがあると喜んでくれました。父はそれから1年も経たずに亡くなりました。
    正木さんの旅行記を見てそのことを思い出しました。

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