世界文学紀行(2)ベトナム・サイゴン
『輝ける闇』開高健 新潮文庫 平成4年11月11日 15刷
『輝ける闇』は、開高健が自ら朝日新聞社の臨時特派員となってベトナム戦争に従軍し、その体験から生み出したルポルタージュ小説だ。
開高健は、1962年2月アメリカ軍に従軍しベトコンの正規軍に襲われる。「開高健行方不明」の記事が載るぐらいの激戦だった。その当時、戦闘に巻き込まれて死亡するジャーナリストは多かったので、開高も殺されたかと思った人が多かった。しかし、彼は命からがら逃げ帰ってきた。そして、1968年開高健は、その体験を基にその持てる力のすべてを賭けて、この作品を書いた。
小説は書き出しが大事だというが、この小説はこう書き出している。
「夕方、ベッドのなかで本を読んでいると、ウエイン大尉が全裸で小屋に入ってきた。彼はベッドのしたからウイスキー瓶をとりだし、夕陽のなかで軽くふってみた。すすって飲む唯一のバーバンだという。≪ジャック・ダニエル≫という銘だった。私は本をおき、大尉のあとを追って小屋をでた。(中略)ベトナムの農民も子供も水牛もいない水田に、夕陽が沈んでいく。大尉が「静かだ」とつぶやいた。私はグラスをおいて、「美しい国だ」といった。」
1962年2月、アメリカ軍がサイゴンに司令部を置いて以後、ゲリラ戦はあったが本格的な戦争は起きていなかった。
小説は、まだ戦場も余裕がある雰囲気で始まる。だが、現地の兵士は退廃し倦んでいる様子も描いている。
1965年2月、米軍が「北爆」を開始した。北ベトナムの反発は、局地戦の激化となって表れる。
開高健は、軍に従軍して現場に参加したいと考え、その機会を狙っていた。
「機会は休日の夕方あらわれた。食後にベッドによこになって、『白痴』を読んでいると、ふいにウエイン大尉が小屋に入ってきた。(中略)大尉は静かに、「参加なさいますか?」私の眼をちらっと見た。「ええ」といった。鉄兜は一発で貫通される。水筒はビニール袋より脆く穴をあけられる。弾丸はどこからくるか知れない。誰にも防衛できない。タバコに火えおつけたとき、恐怖と孤独がはじめて私の腹腔に入り、胃を重く、堅くした。熱い酸がこぼれてじわじわと広がり、穴をうがちはじめるようであった。小屋の入口にはすでにねっとりした暑熱の上げ潮にのって夜が、すべてを併呑する濃い夜がおしよせ、包囲し、しのびこんで、壁を天井まで没していた」
翌早朝、軍は民族解放戦争との戦闘に出発。同行した開高健はその激戦に参加することになる。そこで、作品に書かれているような激戦に遭遇し、多くの兵隊の死を間近で見る。彼は沼を這い持っている物をすべて捨てて森に逃げ込んだ。逃げた森は静かだった。
1925年に創業したマジェスティックホテル。
コロニアル風の造りで、ベトナム戦争中は多くのジャーナリストがこちらのホテルに宿泊。開高健はこのホテルの103号室に宿泊し朝日新聞社へ原稿を送っていた。
この103号室は「開高健ルーム」に改造されて宿泊可能。
1941年~1945年まで日本がベトナムを統治していた時代、マジェスティックホテルは、「日本ホテル」という名称のホテルになっていた。
旅のアドバイス
マジェスティックホテルに宿泊するなら水着の用意をすべし。このホテルのプールは快適です。
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