海外・国内の旅行、長期滞在好きの仲間が集まったサークルです

ミャンマー旅行記   大阪府  廣川鷹七 記

海外旅行体験記/記録

事前準備

・大阪のミャンマーパスポートセンター(領事館)でVISAの申請。
・USドルへの両替 古い札、折り目の入った札は受け取り拒否されるので金種はすべてピンピンの新札。
実際現地のレストラン、ホテルで古い札を使おうとすると受け取り拒否された。
何故新札オンリーなのか?今でもわからない。

旅 程

・ 2016年7月7日出発~8月2日帰国
・ヤンゴン6泊、ヤンゴン2泊(帰国日と前日)バガン6泊、夜行バス1泊、インレー湖4泊、ネピドー2泊、マンダレー2泊
バンコック経由で約7時間弱のフライト、ヤンゴンのホテルチェックインは19時頃(時差は3時間)、その夜は近くのミャンマーレストランで夕食をとり、ホテルの周辺のスパーパーマーケットでビールとおつまみ等買い物、メイン通りから少し入った生活地域を散策して少しだけミャンマーの雰囲気を掴んだ後部屋に戻り、地ビール「ミヤンマービール」で乾杯、グタグタと吞みながら明日からの旅程を確認しベッドに入った。

旅の始まり

ヤンゴン市外ならどの方向からでも見ることができる巨大な黄金色のパゴダ、シュエダゴン・パゴダに。さすがにミャンマーの象徴、すべてが美しく(黄金色)巨大な寺院だ。入口で履物を脱ぎ素足で寺院内を見学した。

黄金のシュエダゴン・パゴダ

3時間ほどぶらぶらと見学の後ミャンマー国鉄のヤンゴンセントラル駅へ徒歩移動。ここからミャンマー各地への運行はもちろんだが今回のメインは「ヤンゴン環状線」である。
日本の古い車両(JRのロゴが車内やボディーに)を使い一周約45KM、39駅を約3時間で一周する。 セントラル駅は古くて広い。各ホームには地元の人たちの集会所?のようで、食事をしたり子供がサッカーボール遊びをしたり中央駅とは思えない異様な雰囲気であった。

たまたま入線した環状列車に乗り込む。車両内部はJRロゴあり、日本の行先表示あり、時刻表ありで興味津々。暑い国なので窓はすべてオープン、乗降ドアーは常にオープンで乗り降り自由の感じ、最も平均時速が最高でも20KM前後らしく危険性はあまり感じなかった。車窓から郊外の田園風景、市民生活の様子を垣間見ながら途中下車を繰り返し半日かけてヤンゴン環状線乗車体験を終えた。

アウンサン・スーチー家 正面玄関 環状線列車

翌日、ヤンゴン川の対岸(ダラ地区)へ渡るルートの一つとして日本から寄贈された大型フェリーが運行していて、日本人はパスポート提示で無料と聞き(無料に弱い私達?は、)早速トライする事にした。
しばらく川と市内を見ていると、若い男性が近づいてきて小声で「ダラ地区の名所を(一人乗り人力車)サイカで廻らないか?料金は一人3,500チャット(350円)でOKヨ」との事、料金は安くダラ地区に興味を持ったのでOKした。

ダラの港へ着くと2台のサイカと数人の若者が待っていた。料金を確認してスタートした。軽トラックが通るのがやっとの凸凹した地道を約30分、道の左右はどぶ川で人家はトタン屋根。米屋らしい露店の商店に立ち寄ると中から’おっちゃん’が出て来て「貧しい人たちに、米10KG 100,000チャットで買って寄付してほしい」と半強制で要求してきたがきっぱり拒否!このあたりから「ちょっとおかしい!」と感じ出したが無事に港に到着。すると早速、リーダー格(と思われる)若い兄ちゃんが料金を請求してきた。二人で80,000チャット!!フェリーでの料金は二人で7,000チャットであったはず。半ばケンカ腰で掛け合いを続けたが相手は頑として80,000チャットで譲らない、約30分も続けた結果何とか45,000チャットで相手は諦めかけた(それでも言い値の6倍強)。落着いたところで周囲を見ると10数人の仲間たちが我々を取り囲んでいた。危険を感じて45,000チャットを叩きつけ大急ぎフェリーに乗り込んだ。何とか無事にヤンゴン港に到着。ホテルに戻り「地球の歩き方」「外務省安全情報」を確認すると我々と同じ状況の安全注意喚起の情報があった。ダラ地区はヤンゴンのスラム街地区で外国人観光客の金銭トラブルや刃物を使った恐喝事件が頻繁に発生している、、、との事。途上国やスラム街で危険と噂される地域の情報収集がいかに大切であるか、今回の出来事で改めて痛感した。

ダラ地区へのフェリーダラ地区 人力車

気を取り直し次の訪問地、バガンへバス移動。一頭立ての馬車をチャーターしてバガンの仏塔巡りで一日。その後はバガン市内をゆっくり観光と計画していたがその夜妻が発熱でダウン、翌日私も発熱でダウン(二人とも風邪でもなく、食あたりでもなく、まったく心当たりがない。)。持っていた’ロキソニン’をすべて服用し何とか熱は下がったが3日間ホテル内で無駄な時間を過ごしてしまった。
元のような体調には戻っていなかったが、夜行バス6時間かけて次の訪問地インレー湖へ移動した。到着後下町を散策する間もなく、漁船らしい船で湖を縦断中30分くらいで見たかった風景の一つである片足で小さな船を漕ぎながら漁をする’インダー族の伏せ網漁’に遭遇した。わざわざ出かけることもなく見れたのはラッキーだった。

しばらくして大阪の娘から電話があった。イヤな予感が的中、養護ホームでお世話になっている義母の熱が二日間程下がらないとの事。ホテルに着き色々と検討の結果予定を切り上げて帰国することにした。
7月7日に出発、8月2日帰国、のロングスケジュールであったが9日間切り上げて7月24日の帰国となった。

鷹七
鷹七

今まで夫婦でいろんな国へ行かせてもらったが、今回ほど変化にとんだ旅行は初めてだった。
しかし反省も多く、次回以降の立案に参考にするべきことも沢山ありそれなりに有意義な旅でもあった。

編集担当:江口三重子

海外旅行体験記/記録

コメント

  1. 渡辺盛夫 より:

    旅の情報では、ぼったくりに会ったとか、こんな失敗をしたとかが本当に知りたいことですね。凄く参考になりました。

  2. 西川敏彦 より:

    私も2017年ミヤンマーを2回ほど行きましたが、とても楽しい旅でした。バガン、インレー湖は特に印象があった街だったので懐かしく思います。今ではもう行けない国になっているだけに残念に思います。そのうちにチャンスは来るかもですね。

  3. 坂田早苗 より:

    2016年冬 チェンマイステイ中の仲間10名でヤンゴン、バガン、マンダレーに行きました。現地在住日本人にアレンジして頂き、日本語のガイド付きでした。
    もう一度ミャンマーにいきインレー湖観たかったです、政情不安もありミャンマー旅行は諦めています。

ロングステイクラブ関西