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インパール作戦 日本陸軍の足跡   井藤 正治 記

随筆/雑記

日本の友好国、タイ国内に1944年3月から陸軍が行軍した足跡。
私は第二次世界大戦、終戦時  5歳で 大阪 大空襲で何とか必死に生き延びた強烈な記憶が今も頭に残っており、戦争には意識が強いです。

インパール作戦
イギリスの植民地インドを独立させ、イギリスの勢力を一掃する目的で、期間は1944年3月から7月、マレーシア、タイ、ビルマ( 現 ミャンマー)を経て、物資などを必要な所へ送る鉄道(線路、列車など)を配置したが、物資補給、軍隊の食料を無視し多くの犠牲者(餓死)を出し無謀な作戦でした。

バンコク周辺、当時使用していた 機関車とクウェー川 鉄橋

戦後 泰面鉄道として長らく活躍していました。今は展示用に置いています。

アメリカ映画で有名な 「戦場にかける橋」 泰面鉄道で現在も使われています。

映画 クウェー川 マーチの音楽も有名ですね。

ビルマに近い所で、鉄道建設の際最も困難を極め、山を崩して幅の細い小道に、タイ人、イギリス人の協力を得て線路を引きました。単線です。

今は使われず当時のまま、展示されています。

列車の幅ギリギリの線路です。

山を崩しての難工事、壁面に協力して頂いた国々の国旗など展示されています

タイ、ビルマのイミグレーションです。

今はイミグレーションとして使われていませんが記念として残されています。

展示されている線路はビルマを通過、インドに入り、インパールまで繋がっています。

ムーンサーン寺院(チェンマイ旧市街ゲート外へ出た所)

毎年8月15日チェンマイ 戦没者 慰霊祭を行いました。

チェンマイに近い、村の村長と中学校で陸軍殉職の碑を維持管理して頂いています。

お寺の中には戦没者の資料館があり、当時の色々が展示されています。

お盆の日に、皆さんが花をお供えしてお参りします。

タイの方が陸軍の軍服を着て、お参りされ有名です。

毎年 8月15日お盆の日に、日本の皆さんが花束をお供えしてお参りします。

 

 

井藤
井藤

タイの中、あちらこちらで戦没者慰霊碑を見ました。

戦中派の私で、戦争に意識が強いので、こんなリポートになりました。

編集担当:江口三重子

随筆/雑記

コメント

  1. 堀口昌之助 より:

    チェンマイに行く度に、我々は遊びできているが、その当時、戦争に駆り出され、毎日ビンタを受けながら、この暑い地で、生活し、戦い無くなった英霊のことを思い出します。
    歩け歩けの毎日で、どれだけ辛かったかと。合掌。

    • 井藤 正治 より:

      堀口 さま
      コメントありがとうございました。本当に無謀な作戦でした。当時、タイの方々に凄いお世話になり、今も日本人には印象が良いですね。

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