金沢の名所と言えば金沢城、兼六園、ひがし茶屋街・・・・などが有名です。 特に今年の桜は綺麗でした
ところで前田利家のお墓はというとあまり知られておりません。直近のNHK大河ドラマで出た有名武将のお墓(骨が埋まっている場所)の所在地は
平 清盛 : 神戸 兵庫区or須磨区 不明
源 頼朝 : 鎌倉 法華堂跡
織田信長 : 京都 本能寺跡 と思われる
豊臣秀吉 : 京都 東山 豊国神社
徳川家康 : 栃木 日光東照宮
である
乱世の戦国時代では寿命まで長生きした武将は少ないのと戦いで負けた場合首をはねられあとはどのようになったか不明な場合が多い。全国統一した豊臣時代以降は割と残っていることが多いようである。実は 利家は四男であった 兄より武芸に優れ特に槍を持ったら織田家臣の中でも随一 武勲も多く、『槍の又佐』 と呼ばれておりました。のちの赤母衣衆(信長直轄親衛隊)隊長も務めた。なので信長の鶴の一声で「前田家は利家に継がす」との勅令で決まった。兄利久とはゴタゴタがあったがのちに和解して利家が金沢城に入った時以来 戦いで留守がちな利家に代わり城代を務めていた。
金沢城や城下の整備を高山右近(キリシタン大名)に任せ戦いに明け暮れていた。4年後兄利久が亡くなった。そこでお墓をどうするかとの問題が持ち上がる。 当時は神仏混合の時代お寺では一向宗の匂いが強くなり、神社でも治まりが悪い。どこか新しい場所はと探していたらお城の天守閣から良く見える丘陵地帯に野田山があった。
ただ方向的にお城の真南である。通常お墓などは鬼門(丑寅:北東)の方向に作るもしくは日の沈む西方向である。それが真南の丘陵地帯にである。グーグルマップで 金沢 野田山 前田家墓所 と入れると即検索してくれる。
今でこそ麓まで民家が建っているが当時は雑木林のこんもりとした山であった。土地はいくらでもあり開発は楽である。頂上付近に兄利久の墓(土饅頭)を造りその下に利家、お松の方等歴代の藩主の墓が並んでいる
兄利久を敬い上に置いたのか? お松の方の方が少し上、死んでも頭が上がらないか? おもしろいのは②の幸の墓、大きいし上に造られている。 信長の娘であったので致し方のないことか。下の方には家臣の墓もあり江戸時代までは一般の人の立ち入りは禁止されていた。明治以降開発が進み墓地として一般人の受け入れも行い、お彼岸やお盆には多くの参拝者の方が訪れ線香の煙がたなびいている。 詩人室生犀星の墓もここにある
後ろのかすんでいるのが日本海である。お墓はすべて金沢城の方向に向いている。野田山全体が前田家のご墓所になっており全国的にも珍しい場所である。
加賀百万石を築いた前田藩の墓所についての話を興味深く拝見しました。今度、金沢に行くときには是非もと訪ねてみたいものです。
金沢からの、ふるさと自慢の貴重な話はとても良かったです。地元の人しか分からないような考察も加わり、納得しながら拝見しました。ありがとうございました。
編集担当:高田幸夫