海外・国内の旅行、長期滞在好きの仲間が集まったサークルです

「ふりかえれば」 大阪府 福田きえ子

随筆/雑記
童話創作同好会PC担当:多胡かよ子
童話創作同好会PC担当:多胡かよ子

 実は童話創作同好会で話し合い、LSCホームページに作品を投稿して

LSCの皆様にもっと作品を読んで頂きたい、そして皆さんに童話創作やエッセイ執筆に

興味を持って頂けたら、ということになりました。

 まずは不定期に、出来れば毎月1作投稿を目指したいと思っております。

記念すべき?第1作は福田きえ子さんのエッセイです。

 ふりかえれば私の人生にもいろいろありました。
あんなこと・・・こんなこと・・・楽しかったこと、辛く悲しかったこと、頑張ったこと・・・
 その中で大きな出来事の一つは、1995年(平成七年)1月17日の早朝の5時46分に起きた阪神淡路大震災に遭遇したことです。阪神淡路大震災が起こったのは、私達夫婦が丁度50才の時でした。突然、ギシギシと家がきしむ音とともに、今にも家がつぶれそうな大きな揺れを感じました。
 二階に寝ていた私達はびっくりして飛び起きました。揺れがおさまって、慌てて一階に降り、家の中を見渡しても一見何事もなく、大阪府の豊能町の自宅は何とか無事でした。テレビをつけると、震源地は神戸方面とか・・・あわてて西宮の夙川で一人暮らしをしている主人の母親と、神戸の魚崎に住んでいる私の両親のところに電話をかけました。どちらも呼び出しているのですが応答がありません。
 私は電話をかけ続けました。でも、きっと無事で何処かに避難してくれているのに違いないと思っていました。夕方、千葉の妹から電話がありました。「父親から『元気だ、無事だ、避難所にいる。』と
いう電話があった」という連絡でした。電話は公衆電話のみが、それも遠方からの電話だけが繋がったのです。一方、主人の母親の方とは連絡が取れないままでした。翌日の早朝、厳寒の中、夫はある程度現地の被災状況を呑み込んで、原付バイクで自分の母と私の両親のところへ行ってくれました。
 ハンドルさばきもタイヤも大丈夫かと思うほどの水とカイロ、おにぎりを積みました。私は夫の無事を祈るのみでした。夫の母は、家が全壊し亡くなっていました。80才でした。今年2023年(令和五年)の1月17日は二十八回目の命日です。私の両親の家も全壊しましたが、幸いにも両親は共に無事で何とか助かりました。夫は全壊した私の両親の家の前で、偶然にも毛布を取りに帰っていた父と出会ったのです。「車で必ず迎えに来ますから、お母さんと我慢して待っていて下さい。」二人は手を取り合って再開の涙を流しました。しかしながら、両親の終のすみ家は無くなってしまいました。
 父が77才、母が72才でした。今の私より若い時です。それまでの平凡で穏やかな人生が突然変わってしまったのです。震災後両親は、私達の家に避難し、それから千葉の妹の家、千葉の雇用者住宅へと転々と移りました。震災から丸2年後の1997年、両親は弟の倉敷への転勤についていきました。
両親二人は借家での生活、弟は会社の寮生活です。倉敷に来てから6年余りで病身の母は81才で旅立ちました。母が旅立ってから父は、子供達三人や地域の人達に見守られて、その地で90才まで一人で過ごしました。父の倉敷での生活は十年余りに及びました。

 そして、会社を定年退職した弟が千葉に戻ると、父も千葉の自立型施設に移りました。
95才の声をきくと身体もすっかり弱り、病院の介護施設に替わりました。そして、二回目の千葉での生活7年後の2014年(平成二十五年)六月に97才で、父は震災からの20年に及ぶ流転の人生に幕を閉じました。震災は生き残った人の人生も大きく変えたのでした。震災では多くの命が失われ、
命の大切さと自然界の怖さが身にしみました。あの真冬の寒い中を沢山の友人・知人・家族が駆けつけて助けてくれました。そして、私達の真白になっている頭、凍り付いた心に灯りをともしてくれました。阪神淡路大震災はボランティア元年と言われていますが、私のボランティア精神も目覚めました。
 直接お返しは出来なくても、援助が必要な方達のお役にたちたい、恩返しをと思うようになったのです。1999年に「あしなが育英会」が阪神淡路大震災の遺児のために、日本初の『遺児のための心のケア』の拠点として「神戸レインボーハウス」を建設しました。それは震災の4年後、世界中から支援を受けて出来上がったものです。ところが又しても、阪神淡路大震災の16年後の2011年(平成二十三年)の3月11日(今から12年前のうさぎ年)、私達が66才の時に東日本大震災の襲来です。「あしなが育英会」は、今度は東日本大震災の二千人余りの遺児のため、3か所に「レインボーハウス」を建てる計画を立てました。私は、友人達に『一緒にこの計画を応援しませんか?』と問いかけたところ、数人の友人達に賛同して頂き、少しづつ応援をしていこうということになりました。

BABA(婆々)見守り隊「つむぎの和」が誕生しました。それは、一針一針心を込めて縫った作品の
販売代金を「あしなが育英会」に寄付しようというものでした。次第に「つむぎの和」の活動が広まって数十人の方達の支援協力を頂けることになりました。そして、遂に世界中の沢山の人達の善意が結集し、2014年(平成二十六年)に仙台、石巻、陸前高田の「東北レインボーハウス」が完成しました。「レインボーハウス」は、震災や津波で親を亡くした子供達が抱える親を亡くした喪失感の
『心のケア活動』や子供達の『教育支援の活動』をしています。私達もほっと安堵しました。その後も続けたかったのですが、いろいろな事情で5年余りで終止符を打ちました。ふりかえると、日常の流れる日々から足を止めて深呼吸の出来た日々。素晴らしいご縁を頂いた感謝一杯の仲間たちです。
みんな、それぞれ色々な苦労を乗り越えられて、何か社会貢献をしたいと願っている、そんな方達ばかりでした。今も残念ながらロシアのウクライナへの侵略戦争のように、戦争はあちらこちらで起こっています。それは、野心を捨てられない人間の強欲からです。耐え難いのは、このような戦争に関わる国の子供達が憎しみの中で育っていくということです。世界中のどんな人にも心の中に善意があると思うのだけど、戦争は無くならない。自然界で起きることはどんなに辛いことでも、まだ諦めはつくけれど、人間達がするなんて本当に罪深い事です。一日も早く平和な世界が来ますようにと祈る思いです。
                             2023年3月5日 記

童話創作同好会<br>PC担当:多胡かよ子
童話創作同好会
PC担当:多胡かよ子

如何でしたか?

童話創作同好会では童話だけではなくエッセイの指導も受けられます。

 何かを世に、家族に、友人に、書いておきたいと思われる方は多いのではないでしょうか?

この作品を読み、刺激を受けて自分もエッセイや童話を書いてみたいと思われる方が

いらっしゃると嬉しいです。

編集担当 赤野文子

随筆/雑記

コメント

  1. 中村チヨ子 より:

    福田様のふりかえればのエッセイ読ませて頂きました
    人生への辛い体験、今だから書けるエッセイ、心に滲みました
    これからも、ご健康に、留意され頑張って下さい。
    有難う御座いました。

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