世界文学紀行(8)マレーシア:バトバハ  十河和夫 記

随筆/雑記

『マレー蘭印紀行』金子光晴 中公文庫1999年4月10日11版

                センブロン河

 川は、森林の脚をくぐって流れる。‥‥泥と、水底で朽ちた木の葉の灰汁をふくんで粘土色にふくらんだ水が、気のつかぬくらいしずかにうごいている。

ニッパ―水生の椰子―の葉を枯らして屋根に葺いたカンボン(部落)が、その水の上にたくさんな杭を浸して、ひょろついている。板橋を架けわたして、川のなかまでのり出しているのは、舟つき場の亭か、厠か、厠の床下へ、綱のついたバケツがするすると下ってゆき、川水を汲みあげる、。水浴をつかっているらしい。底がぬけたようにその水が、川水のおもてにこぼれる。時には、糞尿がきらめいて落ちる。

これは、昭和15年(1940年)に出版された「マレー欄印紀行」の出だしだ。最初の文から心が奪われた。今まで体験したことがない文体だったからだ。文は、古典調でもあり文語体でもあるが、詩のように心の奥にまで響く。それは、まさに旅へ誘う魔力を秘めた本だった。

とくにぼくが好きなのが「バトバハ」の章だ。ゴム農園事業や鉱山開発のために多くの日本人が暮らしていたというマレーシアの小さな街。この章では当時の街の様子やマレー人の暮らし、日本人の人間模様などが記されている。

バトバハの街には、まず密林から放たれたこころの明るさがあった。井桁にぬけた街すじの、袋小路も由緒もないこの新開の街は、赤甍と、漆喰の軒廊のある家々でつづいている。森や海からの風は、自由自在にこの街を吹きぬけていき、ひりつく緑や、粗暴な精力が街をとりかこんで、うち負かされることなく森々と繁っている。

金子はこの街の日本人クラブの三階に逗留する。ここで彼は、日本に帰りたくても帰れずにお酒や女性におぼれていく日本の青年に出会ったり、何をするでもなく、コピティアム(マレーのコーヒーショップのこと)でマレー人観察をして色々と書き連ねている。

読んだ後、僕はとにかく何がなんでもマレー欄印に行かねばならないと思わされてしまった。それは、文学青年を気取っていた二十歳後半の頃だった。

それから何年経っただろう、実現したの2008年「Lscお誘い旅行」で1ヶ月KLのコンドミニアに逗留した時だ。妻と二人で参加したが、働いていた妻は一週間で帰国。残った僕は、この機会を利用して金子光晴が宿泊した「バトバハ」へ旅したのだ。

当時、現地在留の中西夫婦を囲んでの食事会が催されました

当時は、まだ一人で海外を旅することなど未経験で不安だったが、なにがなんでも金子の逗留した街が観たいという気持ちの方が強かった。KLからジョホール・バルまで鉄道を利用。そこから、バスを利用してバトバハへ。そして、金子が滞在していた建物を見つけたときは本当に感涙した。コピティアムはなくなっていたが、その地に立つと、目の前に『マレー蘭印紀行』で描かれていた、気だるい南洋の世界が広がっていた。

窓の前は‥ニッパ椰子が重なりあって繁茂していた。濛々とした霧雨がふきはらわれ、‥明るんでみえる曇天に、黒々とした逆光線でカユ・アピアピの姿があらわれる

この経験で、旅をして紀行文を書くことの魅力に出会えた気がした。いつか、僕もこんな紀行文を書いてみたい‥。僕が紀行文を書くきっかけを与えてくれた本なのです。

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