生きているうちに、訪ねてみたいところの一つにパタゴニアとウユニ塩湖があるんだ。
パタゴニアやウユニ塩湖は、地球の裏側でしょう!そんな遠い所へ
行けるかしら?
元気な今なら、なんとか行けるだろう。
ということで、今年(2024年)の2月に夫婦そろって南米のパタゴニアとウユニ湖14日間の旅に出かけました。行程は以下の通りです。メキシコではビールと一緒に食べたタコス、ブエノスアイリスではアルゼンチンワインを飲みながらタンゴのショウなど他でも楽しみましたが、本原稿はパタゴニアとウユニ塩湖に絞って書きました。
■初日:伊丹✈⇒成田✈メキシコシティ🚌⇒メキシコシティ観光⇒ホテル
■第2日目:ホテル🚌⇒メキシコシティ✈⇒アルゼンチン・ブエノスアイリス(宿泊)
■第3日目:ホテル⇒ブエノスアイリス✈⇒カラファテ🚌パタゴニア草原走る🚌⇒国境越え・チリ🚌⇒パイネのペオエホテル(宿泊)
■第4日目:ホテル 🚌パイネ国立公園観光・・・サルミエント湖、トレス・デル・パイネ、ペオエ湖、サルトグランデの滝・グレイ湖🚌⇒ホテル(宿泊)
■第5日目: ホテル🚌⇒カラファテ🚌⇒ロスグラシアレス国立公園・ペトロ・モレノ氷河観光(氷河クルーズ/氷河展望台)🚌⇒カラファテ・ホテル(宿泊)
■第6日目:ホテル🚌⇒エルチャルテン・フィッツロイ観光・・・コンドルの丘、チャルテン村散策、滝🚌⇒カラファテ✈⇒ブエノスアイリス🚌⇒ホテル(宿泊)
■第7日目:ホテル🚌⇒ブエノスアイリス✈⇒ボリビア・サンタクルス🚌⇒ホテル(宿泊)
■第8日目:ホテル🚌⇒サンタクルス✈⇒ラパス✈⇒ウユニ・ウユニ観光🚙jeep・・・列車の墓場、コルチャニ村・・・ウユニ塩湖の夕焼け鑑賞、ウユニ塩湖星空観賞🚙jeep⇒塩のホテル(宿泊)
■9日目:塩のホテル🚙jeep⇒ウユニ塩湖の朝焼け観賞🚙jeep⇒ウユニ塩湖観光・・・インカ・ワシ島、ピクニックランチ🚙jeep⇒ホテル(宿泊)
■10日目:ホテル🚙jeep⇒ウユニ✈⇒ラパス🚌⇒ホテル休憩とランチ🚌⇒ラパス✈⇒
■第11日目:⇒ブエノスアイリス🚌⇒ホテル🚌⇒ブエノスアイリス観光・・・コロン劇場、5月広場、メトロポリタン大聖堂、カサ ロサダ大統領邸、ポカ地区、レコレータ墓地、エルアテネオ書店🚌⇒夕食と本場のタンコショー🚌⇒ホテル(宿泊)
■第12~13日目:ホテル🚌⇒ブエノスアイリス✈⇒メキシコ・シティ✈⇒
■第14日目: 日付変更線通過✈⇒成田✈⇒伊丹🚃枚方自宅へ
パタゴニア
パタゴニアの位置
時差調整も兼ねて、メキシコシティーで一泊した後、南米に向かった。プレミアム・シートで寛ぎ、二日半掛けて、ブエノスアイリス経由でようやくパタゴニアの拠点カラファテについた。パタゴニアは、国の名前ではなく、南米のチリとアルゼンチンにまたがる、南極に近い広大な地域の名前である。パタゴニアは、NHK取材班によって、幾度か紹介された所でもある。
バスでアルゼンチンの草原を走っていると、原住民の羊飼いや、パタゴニアに多く生息する、グアナゴに出合った。私たちは、昼食を兼ねて、酪農農家のレストランに立ち寄った。子羊の丸焼きのバーベキューと、アルゼンチンワインを飲みながら、これからの旅の安全を願って、乾杯した。農家のあるじのご厚意で、牧羊犬による羊ショーを見せてもらった。牧羊犬の表情は、真剣そのものであった。
私たちは、アルゼンチンの国境を越え、チリの、トーレス・デル・パイネ国立公園に入った。私たちの泊まるホテルは、ペオエ湖に浮かぶ小島に建っており、パイネ・グランデなどの山々が、湖越しに姿を表していた。その日のディナーは、パイネの山々を借景にして、話が弾んだトーレス・デル・パイネの呼び名は、風化の進んだ花崗岩の山々の姿に由来する。1200万年前に、隆起した花崗岩を、覆っていた白亜紀の、体積岩や粘板岩の氷河の浸食によって、尖り、今の俊敏な形になった。
翌朝、グレイ湖を巡るトレッキングに出かけた。生憎の、小雨模様で、ロス・ぺロス氷河は、霞んで見えた。パタゴニアの天気は、一日のうちでも目まぐるしく変わる。出発するときに悪いからと言って、心配する必要はない。しばらくすると、非常に良い天気になってきた。コンドルが青空に舞いあがり、心も弾む。クエノス・デル・パイネの、険しい山々の塔は、雲の間から徐々に姿を表した。パタゴニアは、世界一、風の強いところと、云われている。立っていると、風で吹き飛ばされそうになった。
翌朝に、ホテルを発って、カラファテに向かった。夜明け前のパイネの山々は、私たちを見送るように、雄大な姿で現れた。バスは、山並みを通り抜け、ハイネ川の滝に、立ち寄った。パイネの、山々から流れ出る水量は、凄い。
タゴニアの次の訪問地は、チリの国境を越え、チャルテン村にあるフィッツロイである。アルゼンチンの広大なパンパス草原を走って、ようやく着いた。私たちは、ビジター・センターで休憩した後、フィッツロイが美しく見える、コンドルの丘へ、ハイキングに出かけた。
丘の上からは、フィッツロイとチャルテンの村の風景が見えたが、生憎、フィッツロイの頂上付近は、雲で隠れて見えなかった。フィッツロイ山は、標高3405メートルで、アンデス山脈に位置している。この山は、激しい気流が、峻険な頂きに衝突して、あたかも煙を吐いているように見えることから、エルチャルテン、すなわち現地語で「煙を吐くやま」と呼ばれている。この山は、日本のアウトドアブランドの、シンボルマークにもなっている。チョロリの滝を、見た後、チャルテン村に、帰ると、フィッツロイ・サンの全貌を、見ることができた。
私たちは、パタゴニアの最後の訪問地、ロスグラシアレス国立公園に入った。グリーンランドに次ぐ面積の持つ、パタゴニア氷原や、氷河群が広がっていた。この地域の氷河は、ほかに比べて、温暖であるにもかかわらず、大量の降雪のために、氷河が大きく、流れ出る氷の量も速い。先ず、私たちは、展望台から、ペリト・モレノ氷河を見る為に、トレッキングに出かけた。この氷河は、最も氷の厚いところで、高さ700メートルもある。長さは30kmにもおよび、一日に2メートルの速さで湖へ流れ込む。
今度は、私たちは、遊覧船に乗り込み、間近で氷河を見ることにしたこれは、氷壁に近づく、クルーズ遊覧であり、間近で見る氷河の壁は、透き通るような青色で、迫力があった。
多くの氷河では、地球温暖化の影響を受けて、後退しつつあるが、ここは、流れ出る氷の量が多いため、後退していない。
ウユニ塩湖
ウユニ塩湖の位置
ウユニ塩湖は、南米のアンデス山脈に広がる塩の湖であるが、湖というより塩の大地と云った方がよい。
私達がウユニ空港に着くと、ガイドのジェニーちゃんとドライバーのデビットが待っていた。私たちはジープに乗り、最初の訪問地「列車の墓場」へ向かった。そこは荒野の真ん中で、赤錆びた幾つもの列車が並んでいた。19世紀に太平洋岸の港町に鉱物を運ぶ鉄道であったが、ボリビアは戦争に負けて、太平洋へ繋がる領土を失い、列車は放置されたままになっていた。今ではボリビアの珍しい観光地として人気がある
私たちはようやく、宿泊hotelに着いた。すべてが塩でできているホテルといってよい。ここはボリビア式の風水で建てられており、まるで塩の彫刻美術館のようなホテルであった。ホテルのあちらこちらに塩の彫刻が施されていた。私たちの部屋の壁・床・椅子・ベットなど全て塩で出来ているのに驚いた。
ウユニ塩湖は、標高3700メートルの所にあり、富士さんの山頂と同じ高さにある。そのため高山病に罹る人が多い。私達のツアーには、ドクターが同伴して、検診したり、万一に備えてくれた。私たちは四輪駆動のジープに乗り込み、四国の半分もの面積がある、広大な塩湖を走った。
走っても走っても、真っ白い大地と青空が続いた。塩湖を走ると,様々な、塩で作られたモニュメントに出合う。それに登ったり、一緒に写真を撮ったりするのも楽しみの一つであった。
ウユニ塩湖の見どころは様々である。夕日が沈むころの時間帯には、塩湖の表面がオレンジ色に染まり、幻想的な光景が広がる。自分の年齢を忘れて、いろんなポーズを撮って写真に収めた。夕陽を見ながら、仲間と共に、ワインで乾杯をした。
夜には、星空が水面に映し出され、まるで宇宙にいるかのような光景を楽しむことができた。
塩湖の中には、幾つもの島があり、その最大の島であるインカ・ワシトウを訪ねた。インカ時代に商人が休憩したことで、その名前が付けられた。島全体がサボテンで覆われ、その頂上から見下ろす360度の視界には、感動した。ランチは、塩湖のど真ん中で、ピクニックランチを楽しんだ。
ウユニ塩湖のもう一つの楽しみは、平坦な地形を利用した、「トリック・アート」である。私たち夫婦は、記念に残るトリッキーな写真を、撮ってもらって楽しんだ。私たちは、土産を買うために、ウユニ塩湖の入口にある、コルチャ村に立ち寄った。
何度見ても素晴らしいウユニ塩湖を、見納めたいと想い、朝早く起きて再びウユニ塩湖を訪ねた。
たくさんの感動を、与えてくれた、ウユニ塩湖に、感謝の気持ちで、いっぱいになった。
パタゴニアは、壮大な氷河、雄大な山々、美しい湖、そして、野生の動物たちに満ちている。大自然の、楽園である。私たちに、たくさんの感動を与えてくれた、パタゴニアには、感謝の気持ちで一杯である。
エンジョイ!ウユニ塩湖(動画)
パタゴニアの動画(10分)を作りました。広大な塩の湖や珍しい塩のホテルなど、なかなか見れない映像です。是非、お楽しみください。
(下の写真の▷マークをクリックした後、右下の□マークをクリックすれば大画面でご覧いただけます。スマホの場合は横にすると大画面になります。)