五島列島はNHKの朝ドラの舞台となったことから、そのうちに旅行したい所と思っていた矢先にLSCの旅行企画Gからお誘い旅行の募集案内があり真っ先に申し込んだ。
五島列島は『長崎の端』程度の記憶しかなかったが、よくよく地図を覗いてみると日本本土最西端から離れ60~100kmに位置し、意外と韓国に近いのに驚いた。
長崎には二つの世界遺産
長崎県には二つの世界遺産が存在する珍しい県である。一つは「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」で、江戸時代の禁教令下で隠れて信仰を守ったキリシタンの歴史を伝える遺産群である。もう一つは「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の一部で、長崎県内に8つある近代化産業遺産である。
そこで私たち夫婦は、LSCの五島列島の旅に加えて、二つの世界遺産の関係する長崎市街観光、軍艦島クルーズ、そして豪華列車「ふたつ星」に乗っての武雄温泉を入れて、6月30日から7泊8日の旅をすることにした。(本稿では五島列島の旅のみを記した)
だんだん良くなった天気
時期は梅雨真っただ中と云うこともあり、覚悟はしていたものの旅行日が近づくと共に雨が続き酷くなってきた。出発(6/30)の朝に突然に軍艦島クルーズの船会社から電話があり欠航の連絡があった。ひょっとしたら五島列島行きの船も・・・・と思い、急ぎ今回の世話役にメールを入れた。しかし、幸いにして私のとりこし苦労に終わった。
前日まで降り続いていた雨も7月3日には小雨交じりの曇天となり、関東、中部、関西から参加会員38人が長崎港ターミナルに集まった。天候は徐々に良くなり4日目には快晴の旅行日和となった。梅雨間にしては天候に恵まれた旅行であった。コロナ禍も収束しつつある中、久しぶりの再会で笑顔がいっぱいの楽しい旅行となった。
五島列島は下五島の福江島、久賀島、奈留島の三つの島に、上五島の若松島、中通島の二つを加えて五つの島からなり、西海国立公園指定された大自然と歴史に溢れた島々で、今回はこの五つの島を訪ねる3泊4日の旅である。しかも4日間とも歴史や自然を語るガイド付きのちょっと贅沢な旅である。
貴重な潜伏キリスタンの歴史を語る教会と史跡
16世紀、世界が大航海時代のころにキリスト教が日本に伝来した。しかし、幕府の禁教令により厳しい弾圧を受け一旦壊滅したとされている。しかし、18世紀に潜伏キリシタン農民が五島に移住し、ひっそりとキリスタンの灯を守り、1873年のキリシタン解禁まで守り続け、解禁後、次々と教会堂が建設された。五島列島には世界でも稀な迫害の歴史とそれを乗り越えた信徒たちの証(信ずる者の強さ)のあるところである。
4日間とも観光ガイドが付き、潜伏キリシタンをはじめとして五島の自然、文化、歴史をたっぷり味わう旅行となった。余談になるが、信者のイエスキリストの踏み絵についてガイドさんが言った言葉が印象に残っている。「あなたは自分の親の写真を踏みつけることが出来ますか?」ハッとさせられた瞬間であった。親以上の存在であったものを踏めるはずがないと思った。
「潜伏」と「隠れ」の違い
よく似た言葉であるが区別して使われている。潜伏キリシタンとは、表向きは仏寺の檀家となりながら、キリスト教の信仰を守った人を云う。隠れキリシタンとは、潜伏キリシタンの内、明治政府のキリシタン解禁後もカトリック教会に復帰せず潜伏時代の信仰を継承するものを云う。様々に形を変えて後世に引き継がれているといえよう。
印象深かった教会堂や史跡
五島列島には五十もの教会堂があり、私達も混同するくらい幾つもの教会を訪ねた。しかし、それぞれ特徴があり見応えがあったが、中でも私が印象深かった教会堂とキリシタン史跡は以下のものである。
①堂崎教会
赤煉瓦の洋風の建物で五島列島最古のシンボルのような教会である。ゴシック様式で資材の一部はイタリアから運び込まれたという。近くには、当時五島の貧しさ故に子供の「間引き」が行われていたのを見かねた神父が作った救済施設もある。
➁旧五輪教会堂
久賀島集落にある。外観は一見すると平凡な和風建築であるが、中に入ると本格的な教会建築様式となっていて木造の素朴な感じが何とも言えない。教会の建て替えを機に解体の予定が信徒の熱意で保存されたという。国の重文に指定されている。
➂水ノ浦教会
新上五島の中通島にある木造の教会で、天井や花の装飾が特徴である。すぐ近くに中の浦があり、天気の良い満潮時に行くと水面に教会が反射して二つに見える事から「水鏡の教会」とも呼ばれている。帰りのバスの中からそれを見ることが出来た。
➃頭ヶ島天主堂
頭ヶ浜天主堂は、正面中央にそびえる鐘塔が特徴的で、信者らが近くの島から切り出した石を運び、建設されたところ。訪れた時は青空の見える4日目ということもあるが、地元で採れる石を使うことで周りの山の緑と海の青にしっとりと溶け込んでいた。記念撮影では思わず万歳をする人もあった。
⑤キリシタン洞窟(若松島)
クルーズ船に乗って若松島の里の浦にあるキリシタン洞窟へ行った。波が荒く上陸はできなかったが、明治時代のキリシタン弾圧から逃れた信者たちが隠れ住んだといわれる洞窟には感動した。船からマリア観音像を見ることが出来た。
➅ルルドのマリア像
五島列島にはルルドのマリア像は幾つもある。フランスのルルドという街で聖母マリアが現れたとされる洞窟を模して造られたもので、病気や災難から守ってくれるとされている。井持浦教会のルルドは日本最古のものとされている。周りが緑に囲まれた洞窟の入口に立つ真っ白なマリア像には感動した。
教会建設の匠「鉄川与助」
五島には多くの教会が存在するがそれを建てた人がいる。上五島が生んだ努力の建築家・鉄川与助である。尋常小学校を卒業後、大工の修行を始め、神父にも教わりながら生涯で50を超える教会建築に携わった。近代建築史でも高い評価を得ている。
遣唐使が通った大陸交流の架け橋の島
五島列島は日本の最西端ということもあり、古くから大陸交流の中継点として栄えた。古代では遣唐使南路の風待港、避難港としての役目を果たした。最澄や空海などの高僧が来島したとされている。史跡や地名として多く残されている。
福江島には武家屋敷や城も
五島列島に城や武家屋敷があるとは思いも寄らなかった。二日目の朝早く起きて散歩した。宿泊ホテルのすぐ近くに福江城(石田城)があった。五島藩最後の藩主が築いた海城で今では埋め立てられて陸の城となっている。城は解体されて今ではその跡地に高校が建っていた。また、城からしばらく歩くと武家屋敷通りがあった。石積みの塀の続く街並みの風情には感動した。後で全員で武家屋敷通りにある山本二三美術館やふるさと館を見学した。
地元の食材を楽しんだ食事
五島には美味しい食材が多くある。新鮮な魚を中心として今回の旅行はそれを存分に味わう旅行であったと思う。五島列島は養殖も盛んで全国の3割が長崎産である。初日の昼から美味しい海鮮料理から始まった。夕食は五島牛のたたきやサザエのグラタンが美味しかった。二日目のコンカナ王国のサザエの壺焼き、地魚のしゃぶしゃぶ、そして三日目のマルゲリータ奈良尾でおしゃれに食べた食事も美味しかった。
五島ならではのこだわりのランチ続々
特に五島ならではのこだわりの昼食はワイワイと楽しく美味しくとても印象に残っている
①椿茶屋のBBQランチ
数人で炭火の囲炉裏を囲んでのバーベキュー、五島の地魚の塩焼き、五島の新鮮野菜、名物のカンコロ餅や五島うどんも美味しかった。昼間からビールも進んだ。
➁漁師飯
上五島町の漁協の女性部の心のこもった料理である。会場に入ると獲れたての魚を捌いた姿づくりの刺身が目に入った。新鮮なお刺身盛り合わせやヒラマサの塩焼き、あら汁など魚尽くしであった。お替り自由で、殆どの会員がお替りをしたように思う。お替りのゴマダレを掛けた海鮮丼は逸品であった。帰るときに手を振って見送ってくれたのが印象的であった。
➂五島うどん「地獄炊き」
沸騰した鍋に五島名物のうどんを入れ4人で囲んで掬い上げて食べる。湯上げしたままのうどんを醤油やゴマだしのタレ、更には卵も入れて食べる五島ならではの郷土料理である。五島うどんはコシが強くて太いのが特徴である。
LSCの交流の輪
LSC主催のお誘い旅行の醍醐味は日常の住いを離れた旅先で、仲間と共にワイワイしながら楽しむことである。初日の夜は、綾部さんの持ち込んだワインで関東・関西の仲間と夜遅くまで会話が盛り上がった。二日目の宴会では、恒例になった荒木様や相田様の隠し芸が披露された。飛び入りの参加もあった。最後には後藤様のハーモニカのリズムに合わせて、自然と会場全体が大合唱が始まった。
私達夫婦のお誘い旅行は昨年の東北仙台旅行に続いて2回目である。新入会員や関東の会員には見知らぬ人も多くいたが、旅を終えるころには全員と話をして親しい友達になっていた。元気でまたの再会を期して長崎港を後にした。
LSC五島列島の旅の動画を作成しましたのでご覧ください。18分の作品です。
下の映像をクリックするとご覧いただけます。また、右下の□をクリックすると画面が拡大します。スマホから見る場合は横長にしてご覧ください。
作品:「五島列島の旅」の動画(18分)
編集担当: 高田幸夫