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教え子に癒された秋 ~50年前にタイムスリップ~ 谷口章江 記

随筆/雑記


はじめに

 私は大学卒業後すぐ教職に就きました。当時、新人教員は僻地教育に当たるのが通例で、私もその例に倣い尾鷲市須賀利町に赴任しました。須賀利は半島にあり、尾鷲市街とは海を挟んで向かい合ったところにあります。陸続きではありましたが当時は道が通じてなく、自動車で訪れることは不可能で「陸の孤島」と呼ばれていました。どこへ行くのも巡航船に乗らなければなりません。

 当時、小・中学校は有りましたが、高校は無く高校生は船で通学していました。住民は1000人位で仕事は殆どが漁業。カツオ船に乗り、漁が終わると町は活気にあふれます。(今は養殖が盛ん。)狭い地域なので他所の人が来ればすぐ分かります。家の錠は夜も開けっ放しでした。

 その後少子化が進み、平成8年の入学生が3名となり、ついに平成9年(1997年)に廃校になってしまいました。

 私が教えていたのは昭和42年・43年の二年間で、2年目にクラスを担任しました。その時の教え子たちが この10月に故郷で同窓会をするということで、当時の先生(私を含め)三人を招待してくれました。一学年の生徒が20名位で小学入学から中学卒業までクラス替えは無く、一緒のクラスで学びますから皆とても仲が良いです。招きに応じ50年ぶりに主人と共に行ってきました。

懐かしの教場

 旧中学校への途上、私の頭の中には卒業写真を撮った玄関やバレーコート、教室、そして裏山に登ったこと等いろんな光景が浮かんできました。ところが着いてびっくり。運動場は草ボウボウ、フェンスにも校舎にも木や草が纏わりつき元の姿が見えません。ショックを感じながらも教室を覗いてみました。黒板に一週間の予定表の一部がそのまま残っていました。しかし、廊下は物置状態で奥の方を見ることはできません。すっかり荒れ果てた状況に涙がで出そうになりました。

教え子のお宅へ

 以前は須賀利にも旅館がありました。しかし、1982年に須賀利道路が開通し尾鷲市街まで車で往来できるようになり2012年巡行船が廃止されました。道路が開通し便利になると釣り客などは日帰りするため、須賀利に泊まる客は激減し、ついには閉館せざるを得なくなりました。今、旅館は一軒もありません。交通が便利になったことは必ずしもその土地に繁栄をもたらすとは限らないことをまざまざと見せつけられました。
 元旅館を営んでいた教え子のご自宅が同窓会の会場となり、また私達教師組4名と教え子3名が宿泊させて頂くことになりました。

教え子の成長

 当時、この村はまさに映画「二十四の瞳」を彷彿とさせ、どの子供たちも仲良く可愛い存在でした。その可愛いい教え子が50年経ち、良い“じいちゃん、ばぁちゃん”になっていました。私と教え子は10歳違いですから、もう「だぁれが生徒か,先生~か」状態です。

 そんな彼ら彼女らがそれぞれに活躍している話を聞かせてくれました。
中でも皆が競って教えてくれたのが、その場には来ていなかった世古博已君(彼のことはネットで検索できます)の話です。須賀利中学から伊勢高校を経て東大へ。三菱電機に入り今は宇宙開発機構に関り活躍しています。彼はロケットが大気圏に突入する際に外壁に生ずる高熱に耐える素材を創り、それが今のロケットに使用されているとのこと。また、準天頂衛星『みちびき』にも関り、主たるメンバーとして活躍していることを話してくれました。

 衛星『みちびき』は日本の上空にとどまるという特性を活かし高精度測位を可能とします。『みちびき』の第一号は2010年に打ち上げられ、2018年には4機体制でのサービスが開始され、2023年度を目処に7機体制になり太平洋地域での活用が期待されます。これにより衛星から自動車が安全に運転できるシステムが構築され、将来の無人自動車運転に活用されるとのことです。

 このような小さな村から宇宙と言う広い世界に関係する仕事、それが未来の自動車の在り方も変えるかも知れないような仕事をしているとの話を聞いて、そんな人が教え子の中にいることを本当に誇らしく思いました。

 またその子(と言っては失礼?大博士ですもの)のお母さま(91歳)も私達に会いに来て下さいました。私よりしっかりした足取りで来られました。私が数学を教えていたことを覚えておられ「お蔭さまで数学が一番好きでした。」と言われ、更に「今、息子が世の中の役に立っているのは先生方のお陰です。」と何度も頭を下げておられました。私は面映ゆさを感じつつ、『あぁ、このお母さまの子供だから、あのように立派になられたのだなぁ』と感動を覚えました。

 その他にも、尾鷲市で68歳の今も漁業に携わり活躍している人。静岡大学を卒業後静岡の教育長になった人。また、中学当時おとなしくて全く目立たなかった女の子が、美容室を全国展開し15軒もの店を経営していると話してくれました。よく頑張ったと思います。 
 更に翌日にわざわざ宿所に尋ねに来てくれた教え子もいました。全てをここで紹介することはできませんが、本当に教師冥利に尽きます。

おわりに

 今回の須賀利訪問ではイメージしていたのと異なる校舎を見て悲しい思いもしましたが、多くの教え子に会えました。50年前にタイムスリップして「あの時はああだった、こうだった」と花を咲かせ懐かしみ、またその後の活躍を聞いて安心と喜びを感じました。

 こんな機会を作ってくれた須賀利の教え子たち、同窓会場・宿所を提供してくれ、心のこもったおもてなしをして下さった実穂さんに感謝、感謝です。

私にとって本当に癒された秋の二日間でした。

あきえ
あきえ

須賀利の皆さん、有難うございました。また会いましょう!

付録:色彩豊かな須賀利の海―――風景にも癒されました。

街全体の雰囲気がレトロになっています。
地元の人曰く、昭和30年代ぐらいの景色がそのまま残っているのだとか。
高台からの展望は瓦だけでできた美しい町並みが広がっていました。
「にほんの里100選」にも選ばれています。

あきえ
あきえ

須賀利は良いところですよ。是非行ってみてください。特に釣りが好きな方!

          編集担当 谷口孝行

随筆/雑記

コメント

  1. 井藤 正治 より:

    素晴らしい教え子たちに囲まれた、二日間、感激しました。ありがとう!!

    • 高田幸夫 より:

      ほんとうに教師冥利に尽きますね。イイお話ありがとうございました。

  2. 堀口昌之助 より:

    昭和42年と言えば、私もサラリーマン2年生。仕事覚える途中、気楽な生活の時に、あなた様は既に子らを教え指導されておられる。教師になられたその心意気に頭が下がります。しかも行ったこともないへき地で子らを教える。慣れない地での生活だけでも大変だったでしょう。でも、その苦労は大きく花を咲かせた卒業生たち。この上もない財産をお持ちになられた。おめでとうございます。

  3. 畑 邦子 より:

    先生たちと再会したいとの心温まるお話しありがとうございます。最近はコロナも影響してか、人とのかかわりを、避けたがる人達が悲しいながらある中で、その僻地の社会だからこそ心豊かになるかも?僻地も、良いものですね。
    ほんとうに教師冥利に尽きますね。イイお話ありがとうございました。

  4. 谷口章江 より:

    拙い投稿に対し、身に余るコメントを戴きお恥ずかしい次第です。しかし、本当に嬉しかったものですから、つい皆様にお伝えしたくなりました。有難うございました。谷口章江

  5. 羽田 徳子 より:

    楽しい2日間をこのように上手くまとめて下さってありがとうございました。
    桑名、員弁、四日市、そして尾鷲と、三重県中から集った教え子たち。
    私にとっても大切な宝物です。

  6. 本村忠司 より:

    私もコロナ禍になる直前に、小学1年生・2年生・3年生の担任の先生方を訪ねて、淡路島へ行って来ました。(小学校入学前~小学5年生まで、父の転勤で洲本で暮らしていました)

    小学1年の担任東山先生とは近くの喫茶店で、2年生の岩井先生はご自宅で、3年生の中村先生は『町の施設へ来て』というから、入所でもしているのかと思いきや『健康体操に参加してるから』との事でした。
    3人共80歳の半ばですが、山本先生は車を運転して来ました。
    岩井先生は、阪神タイガーズの年間予約席を持っていて、淡路島から甲子園に月に数回来る~という元気さ!!
    中村先生は、今でも月に一度は泊りがけの麻雀大会をやっている~との事でした。

    3先生共、当時の僕の事を良く覚えていて下さり、嬉しい再会でした。
    その後、コロナが蔓延しだしたので、あの時に思い切って行って良かったと思います。

    谷口さんも、当時の教え子さんたちにとっては、忘れられない先生なのですねぇ!!
    良いお話をありがとうございました。

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