世界文学紀行(10)パリ、モンパルナス墓地 十河和夫 記

随筆/雑記

『嘔吐』サルトル著 白井浩司訳 サルトル全集第6巻 昭和40年10月10日

『第二の性』シモーヌ・ド・ボーヴォワール, 生島 遼一 / 新潮社 [文庫]

 『嘔吐』(おうと、La Nausée)

実存主義者の小説家サルトルが1938年に著した小説である。大学教授であった頃の作品で、彼の著作の中で最も良く知られるものの1つである。カフカの影響を受けているとされる。原題(La Nausée – ラ・ノゼ)は直訳すれば「吐き気」を意味する。実存主義における聖典の1つと広く考えられている。1964年、サルトルにノーベル文学賞が与えられることが決定されたが、彼の「着想、自由の精神、真実への探求心に富み、現代社会に大きな影響を及ぼした作品」が評価されたといわれている。サルトルはノーベル賞を辞退した数少ない人々の1人であり、ノーベル賞を「資産家層によって作られた儀式に過ぎない」と評した。

『第二の性』

〈人は女に生まれるのではない、女になるのだ〉。

「女性らしさ」とは、社会的につくられた約束事にすぎない-という意味だ。その社会の中心は男性で、女性は男性に従う「第二の性」とされていると主張。フェミニズムの立場から、女性の解放を訴えた

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

シモーヌ・ド・ボーヴォワールとサルトルとは、互いの自由恋愛を認めた「契約結婚」したことでも注目された。当初、2年契約だったサルトルとの恋愛契約は延長を重ね、結局生涯つづいた。結婚しない新しい愛の形は、サルトルの都合のいい浮気の体裁繕いという一面があり、ボーヴォワールは嫉妬の念に苦しんだこともあったようだが、2人の関係は切れずに続き、ボーヴォワールは72歳のとき、サルトルの死を看取った。彼女は1986年4月に没した。78歳だった。

モンパルナス墓地 サルトルとボーヴォワールの墓

モンパルナス墓場にて

何なのだ!このキスマークは?と僕は思った。

パリ観光の一つとしてサルトルの墓にルンルン気分で来た僕を驚かしたのは墓石にキスマークがつけまくられていた事だ。しかし、僕をそれ以上に驚かしたのは、キスマークよりサルトルとヴォボワールが同じ墓に収められていた事だった。

「私たちのあいだの愛は必然的なもの。でも偶然の愛を知ってもいい」と宣言して二人は2年間の契約結婚を結んだ。だが、日本でいう法律的な結婚はしていない。結婚していても、同じ墓に入れられたくないと叫ぶ日本の妻ではないが、ぼくはてっきり二人は別個の墓に収められているのだと思い込んでいたのだ。

墓は普通の大きさだった。僕たちは墓に礼拝した。誰かが手向けた花が墓石の上でドライフラワーとなってカサカサと風に揺らいでいた。

妻が「花束を買ってくるべきだったわね」とつぶやいた。

僕は「そうだね」と小さく答えた。実は僕も手ぶらで来たことを悔やんでいたのだ。

「来る時に花屋があって安くて綺麗な花があったの」妻は後悔しているようだった。

「来ただけで喜んでくれているよ」僕はそう答えながら妻との出会いはサルトルとヴ

ォボワールがいたからだということを思い出していた。

1966年、サルトルとヴォボワールが来日した時、僕はテレビに囓りついて見ながら彼らのような恋愛をしたいと思ったのだ。そして、その後いろいろあって僕のヴォボワールを見つけた。それが彼女だった。彼女が二十歳の時同棲して僕たちは今も一緒に生活している。

サルトルは恋多き人、ヴォボワールは情熱の人だった。そして、必然的だと思うが、それぞに「偶然の人」の恋人がいた。ヴォボワールには『朝はもう来ない』 の作品で知られる作家ネルソン・オルグレンがいた。二人の間に生まれた情熱的な愛は後の自伝小説『レ・マンダラン』で描かれている。ネルソンは結婚を望んだが、ヴォボワールは結局サルトルを選んだのだ。

実をいうと僕はサルトルの小説は難解で好きでは無かった。小説では、彼よりカミューが好きだった。『反抗的人間』『 異邦人』『ペスト』など彼の作品をむさぼるように読んだ。 特に『シーシュポスの神話』のテーマだった「不条理(absurde)」が僕のお気に入りの台詞だった。

でも、人生の生き方ではサルトルとヴォボワール二人に共鳴していたのだ。僕がどこまで理解していたかは恥ずかしい限りだのだが‥。

墓場は早春の肌寒い風が吹いて寒々した風景だった。

「寒いね」と僕が言うと。

「そうね。淋しいわ」とトンチンカンな答えが返ってきた。

そうなんだ、僕たち二人はよくくい違う。それでも理解しあってきたのだ。 僕は妻と二人でサルトルとヴォボワールの墓に参れたことに運命を感じた。

随筆/雑記

コメント

  1. 高田幸夫 より:

    十河さん、学生時代にサルトルに興味を持っていたことを思い出しました。十河さんの記事を読んで理解を深めると共に、懐かしく読ませて頂きました。機会があれば、パリの墓地へ夫婦で訪問したいと思います。

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