11月25日(火)~28日(金)、大宰府・熊本・阿蘇・高千穂を巡るLSC交流ツアーが催されました。
本編では第一日目(11月25日)をご紹介します。
13時、西鉄大宰府駅に関東・北陸・中部・関西など各方面から39名の方々が集まり、「や~お久しぶり。元気だった?!」と挨拶を交わしました。
*写真の画面をタップして頂くと画面が拡大します。

二班に分かれてボランティアガイドさんに案内をして頂きました。


まず最初に大宰府の歴史を古代から明治維新に至るまでお話して頂きました。
古代の大宰府は遣唐使が平安京を出発して唐に渡る際必ず休んだ地として重要なところであった。
平安末期から鎌倉時代初めまでは平忠盛・清盛親子がここを拠点に宋との交易で莫大な富を築いた。

鎌倉中期には蒙古襲来に対する防衛上の重要な地となった。
桃山時代には戦乱で焼け野原になったが秀吉が復興させた。
そして明治維新の際には大宰府は一躍「維新回天」の裏舞台となりました。
興味深いのは薩摩藩系の宿「松屋」、長州藩系の宿「大野屋」、土佐藩系の宿「泉屋」が隣り合っていることです。



薩長の間では対立が有ったので、お隣りでは何かとトラブルが生じたのではと余計な想像が浮かんできました。
また、向かいに幕府系(日田屋)がありました。

幕府側は必死で公卿や志士たちの動向を窺っていたことでしょう。
まさに動乱の幕末期を感じる場所です。
熱のこもった語りに、ガイドさんのご当地愛がひしと感じられるひと時でした。
横岳山崇福寺の開基湛慧(たんえ)禅師のお墓で亡くなった地でもある。自然石を祀ってあり参拝者が多いとのことです。

天智天皇が、母である斉明天皇の供養のために7世紀後半に創建しました。

日本の三戒壇(観世音寺・東大寺・下野薬師寺)の一つに数えられ、正式な僧侶となるための戒律を授ける場所でした。


7世紀後半から12世紀後半、大宰府は行政機関として九州を統括し、西の都としての役割を果たしました。地理的に日本の外交と防衛の最前線、アジア大陸の窓口としても機能したことから、重要な政治の中核として大宰府の中心地に政庁が建設されました。






学問・文化芸術・厄除けの神様である菅原道真公が永遠にお鎮まりになられる全国約12,000社の天満宮の総本宮です。





紅葉が見頃で見とれてしまいました。



『うめの花 自然庵』にて懇親会

お庭の紅葉も素晴らしい!


たくさんのお料理、どれも美味しく堪能しました。

久しぶりの再会に話に花が咲き賑やかに楽しく過ごしました。








宴会終了後、宿泊ホテル「ルートイングランティア大宰府」に向かいました。
★旅行記はまだまだ続きます。

お世話頂きました奥野恵史様はじめ神原克收様、後藤成子様、
松本久美子様、準備の段階でご尽力頂きました藤津順子様、
有難うございました。
編集担当 谷口孝行
写真提供 後藤成子




