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もう一度行ってみたい(メコン川) 十河和夫 記

アジア

雲南からルアンババーンに下る。

メコン川は、ビルマとラオスの国境沿いに流れているが、僕たちはバスを利用して直線コースでルアンババーンに向かう。前回はスローボートを利用して途中で一泊したが、今回も途中のウドムサムで一泊した。

ウドムサイは交通の要衝で、中国国境から南下したバスはここでベトナム行きとルアンババーン行きへと分かれる。

この街で、ぼくは奇妙な体験をした。その時の体験を紀行文風に書いてみた。

ラオスの「アメリカン・グラフィティ」ウドムサイ

僅かに聞こえるリズムで目が覚めた。イサーンのメロデイだ。聞くだけで踊り出したくなるメロデイ。イサーンの人はこれを聞くと踊り出す。どこから聞こえてくるのだろう。僕はカーテンを開けて外を見た。すると、1台も停車していなかった停車場が車とバイクで満載になっている。その先にはケバケバしくネオンで飾られた建物があった。昼間はまるで目立たない建物だったが、深夜になると変身していたのだ。

怪しい!何なのだ!このまま見過ごしておくわけにはいかない。兎にも角にも、様子を見に行った。驚いたことにそこにたむろしているのは10代の若者たちだ。女性も男性もカップルもグループでたむろしている。ネオンで飾られた建物の前にはガードマンが立っていた。関係者以外は入場お断りという雰囲気だ。しばらく様子を見ていたが、ひっきりなしに若者が出入りしている。我慢できずに、「入ってもいいか」と聞いたら簡単にOkがでた。入口に垂れているカーテンを開け覗いてビックリ。頭の中から!!!!!が飛び出た。

そこは大音響のロックと光が飛び回り中央フロアでゴーゴーダンスを踊っている。周りのテーブルでは瓶ビールをらっぱ越しに飲んでラリっている若者。いつか見た風景だ。僕が若者だった頃、難波にあったゴーゴーバーではないか。それにしても、これだけの若者がこの深夜に集っていることのい驚いた。僕はすぐにバーから飛び出た。しかし、外で目にした風景の方がもっと驚いた。若者たちはバイクや車でここまでやってきているのだ。女性グループと男性グループが大声で相手の注意を引きつけようと話をしている。合意したカップルは隅で抱き合っている。

青春時代に見た「アメリカン・グラフティ」の世界だった。映画は1962年のカリフォルニア北部の小さな地方都市が舞台だった。閉塞した田舎町では若者のエネルギーは鬱積するしかなかった。唯一の気晴らしはカスタム・カーをぶっ飛ばしてガールハントすることだった。それと全く同じ場面が目の前で行われているのだ。映画で描かれていた若者たちは、その後ベトナム戦争に従軍させられた者もいた。その若者たちによってベトナムだけでなくラオスも大きな被害を受けた。アメリカは、この地に住む山岳民族のモン族を協力者としてベトナム戦争に従軍させる。ベトナム戦争が終わると、モン族はアメリカに協力したと差別されるようになった。だから、モン族は今も山にへばり付いて生きているのだ。

ここに住む若者は山道では暴走族となってぶっ飛ばすこともできない。コンビニ前でたむろしようにもコンビニがない。繁華街でブイブイしたくても繁華街がない。大声を出したくてもカラオケ屋がない。何よりモン族の若者は都会に出て働く道を塞がれている。どうすればいいのだと叫びたくなるほど閉塞されている。そう考えるとここが唯一エネルギーを発散させる場所なのだろう。山奥からも時間をかけて車やバイクで集まってくる。服装も都会の若者と同じようなお洒落な服装で決めている。あちこちで、声を掛け合っている。相手を探している。もうムンムンしたエネルギーがあちこちで固まりとなってぶつかりあっている。ぶつかりあった塊から何組ものカップルが出来る。もう広場はカオスの世界だ。夜の世界と昼の世界が分断されている地域がたまにある。旅人には通常夜の世界は隠されているが、時々偶然に現れる裂け目から見える事がある。今回も、偶然が重なってウドムサイの夜の世界を見る事が出来たのだろう。

早朝、散策に出かけたが昨夜の事が幻と思わせるほどホテルは静寂に包まれていた。ふと、宿泊している部屋を見ると窓の下に切り開かれた銀色の袋が落ちていた。若者たちは満足したのだろうか。

僕は、車とバイクが犇いていた駐車場から国道に出た。山から降りて来た朝霧が町を包んでしっとり濡れていた。遠くの方から数名の托鉢僧が一列並んで歩いてくる。道に寝転んでいた犬が僧の方を向いたがすぐに頭を垂れた。昨夜と同じ年代の青年僧が、僕の前をゆっくりと通りすぎた。(次はルアンババーン)

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