ウズベキスタン旅行記の続編です。 ※ 写真の上でクリックして頂くと写真が大きくなります。
午前中は、ラビアハウス周辺でショッピングを楽しみ地元の手工芸品やお土産を購入することができました。



昼食後、ブハラ駅へ移動してアフラシヨブ号(ウズベキスタンの新幹線)でサマルカンドへ向かいます。

駅では、列車に乗る人すべての手荷物検査(X検査)が行われパスポート・乗車券の提示が必要で日本との違いを感じました。


高速列車から見えるウズベキスタンの風景は広大で、ゆっくりとした時間を過ごすことができました。






到着後は、サマルカンドの旧市街のおしゃれなレストランで夕食を済ませて、ライトアップされたレギスタン広場に出向きました。


夜9時を過ぎているのにもかかわらず多くの観光客で賑わい、幻想的な夜景に心を奪われました。治安が非常によく夜遅くまで街を歩いていても安心に過ごせましたので、安全面で不安を感じることは旅行中1回もありませんでした。
訪れた街はどこも清潔でゴミが落ちていることがほとんどありません。
今日も、サマルカンド観光。朝早くから静かで観光客が少ない中、シャーヒズィンダ廟群やグリ・アミール廟、を見学。日曜日ということもあって9時を過ぎると多くの観光客です。




一度ホテルに戻り食事後、昨日訪れたレギスタン広場を再び訪れました。
3つの巨大なイスラム神学校(メドレセ)が立ち並び、青く輝くドーム、ゆっくり3つのメドレセを見学できました。




紀元前10世紀ごろからオアシス都市として発展しシルクロードの十字路の街として大きな役割を果たしてきたサマルカンド。ティムール帝国時代に造られた巨大歴史建造物が数多く残っている。
ティムールが呼び寄せた技術者たちにより中国陶磁器とペルシャの顔料が融合して生まれた「サマルカンドブルー」、その青色のタイルが当時の建造物を覆っている壁面を埋める緻密な青のモザイクスタイル、そして真っ青な青空という光景が多くの観光客をこの地に呼び寄せるのだと思いました。
このサマルカンドブルーの魅力や感動を写真や紙面で伝えることが難しいと思いました。
特急列車シャルク号の1等車を利用し、車窓からの景色を楽しみつつ、タシケントへ移動です。


到着後『ウズベキスタンで1940年代に生活した日本人の記録』資料館を訪れました。
この資料館は、1940年代に抑留された日本人に関する資料が展示されています。1941年ウズベキスタンの独立を、きっかけに、ウズベキスタン人のジャリル・スルタノフ館長(映画監督)が私財を投じて設立されたそうです。館長はナヴォイ・オペラ劇場建設など、日本人抑留者が果たした役割に関心を持ち、勤勉な日本人抑留者の記録を後世に残すため、資料収集を始められそうです。
日本人の抑留者の苦労や歴史を知る貴重な学びの時間となりました。


その後ナヴォイ・オペラ劇場を訪れました。1947年建造のオペラ劇場で1500人収容。
第2次世界大戦後シベリア抑留捕虜となった日本人がここに送られ、建設に従事したことで、ウズベキスタンの人々に知られている。劣悪な労働環境の中、気を抜くことなく懸命に働く日本兵の姿に当時の人々は、心を打たれたそうです。又、1966年のタシケントの大地震時には、町は、壊滅的な打撃を受けたのだが、ここは壊れることなく残った数少ない建物の一つで、市民の避難場所として利用されました。
この話を聞いて感動を覚えるとともに日本人として誇り思いました。

その後スーパーマーケットでの買い物も新鮮な体験でした。夕食後空港に向かい、仁川経由で帰国の途に就きました。
空港で 6日間お世話になりました現地通訳兼ガイドのガニシェル・ナジロフさん(リシタン・ジャパンセンターの校長)とお別れしました。

タシケント空港から夜遅く仁川空港の向けて出発(機中泊) 7日目の早朝に仁川空港到着その後ラウンジで、くつろいで午後2時に、関西空港向けて出発し無事に我が家に到着しました。

次回はウズベキスタン旅行を振り返り、留意点などを紹介します。
お得な情報を提供します。
お楽しみに!
編集担当 谷口孝行




