私は大阪市福島区出身ですが、29才から現在まで大和郡山市筒井に50年間住んでい
ます。
筒井は戦国時代筒井順慶が筒井城を築いた地区ですが城郭は何も残ってなく筒井城跡
として石碑が建っています。
わずかにお堀跡と思われるところは筒井蓮根の畑になっています。
その後、1580年に筒井順慶は大和最大の城郭、郡山城を築き初代城主となり、その5年後豊臣秀吉の弟秀長が100万石で入城しました。
現在、郡山城跡として天守台石垣や再建された櫓があります。また、お堀を囲むように御殿桜と呼ばれる約800本の桜が植えられていて、「日本さくら名所100選」に入っています。
この時期は「お城祭り」で毎年賑わっていて天守台展望施設からは奈良盆地を一望できます。
また大和郡山にはもう一つ小泉城跡(片桐城跡)があります。南北朝時代に小泉氏の城として築かれました。
1601年豊臣秀吉に仕えていた片桐且元の弟片桐貞隆が小泉城の大名となった。茶人として有名な石州流茶道元祖片桐貞昌は小泉藩第2代藩主で「高林庵」が今でも残っています。
このような状況から、奈良市は公家の文化、郡山は武家の文化と言われています。
自宅の筒井町から徒歩20分位の稗田町に「稗田環濠集落」があり環濠内に稗田阿礼命を主祭神とする「売太神社」(めたじんじゃ)が鎮座しています。
稗田阿礼は稗田の人で天武天皇の舎人で古事記を口伝したとされている。記憶力が優れ、天皇の系譜や古代からの伝承を暗唱し、阿礼が読み習わした内容を太安万侶が記録にとり、和銅5年(712)日本最古の歴史文学書である古事記が誕生した。現在は学問の神、知恵の神として信仰を集め毎年8月16日に「阿礼祭」が賑やかに行われている。
売太神社は「語り部の里」とも呼ばれると共に大学等の「合格祈願」に参拝する人が大変多く、厚い信仰を集めています。
環濠集落とは周囲に堀を巡らしたムラのことで戦国時代では農村では集落を守るために周囲に堀を巡らして襲撃に備えた。
稗田環濠集落は室町時代に形成された集落で、入り込んだ道や「七曲がり」などの特徴が現在も集落として完全に残る珍しい貴重な遺跡です。
以上古い歴史ある地域に暮らしている住人としてちょっと自慢の遺跡を紹介させてい
ただきました。
是非一度お越しください。見どころ満載ですよ。
編集担当 谷口孝行