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もう一度行ってみたい 十河和夫 記

海外旅行体験記/記録

2019年の夏、今度は妻と二人でメコン川を巡った。その最初に選んだのが、ファイサーイだ。

  1. 国境の町、ファイサーイ

 チェンラーイまで夜行バスを利用。ここからチェンコーン行きのバスに乗り換え、友好橋を渡ってラオスには昼前に入国した。このままルアンナムターまで余裕で行けるのだが、この日はファイサーイで宿泊することに決めていた。
 というのも、この町に思い出があったからだ。10年前、チェンマイにロングステイしていた時、青春時代憧れていたバックパッカーを一度やってみようと思いたって、チェンマイからファイサーイ経由でバンコクまでの旅行を決行した。一人で国境を越えて旅行する。それは小学生が初めて一人で列車に乗って遠くに行くと同じぐらい不安な旅行だった。そう、本当に不安な旅だった。つまり、この町は僕がバックパッカーとして初めて訪れた記念すべき町だったのだ。
 10年前の思い出が頭の中を駆け巡る。メコン川の岸辺にイミグレーションの建物だけが建っていた。囲いもなく警備員もいない。出国の手続きが終われば、川辺に待機しているボートに乗り込む。ボートは定員になったら出発して国境を渡る。国境を渡ったらイミグレーションで入国手続きをする。別にパスポートが無くても自由に行き行き出来ると思わせる国境だった。国境を越えるってこんなにもラフなのかと自信をつけさせてくれた町だったのだ。でも、フェサーイは変貌していた。観光客で溢れていた町から観光客が消え、国境の猥雑な町から歴史的な建物が並ぶ古都に変貌していたのだ。観光客が来なくなった理由は、2013年にメコン川に友好橋が建設されイミグレーションが郊外に移動したためだ。昔の観光客はボートに乗って入国しここで一泊した。しかし、イミグレーションが郊外に移動したため、この町で宿泊する観光客が激減したのだ。

タイ・チェンコーンのイミグレーション。

 思い出のレストランは同じ姿で残っていたが閉店状態だった。町も寂れていて、川辺のレストランで祝杯をあげるのは早々と諦めた。その代わりビール買い込んで、ホテルの部屋からメコン川を眺めていた。舟灯が揺らめいている。渡し船だろうか。それにしても、運航する船が少ない感じがした。町も火が消えたように寂しくなっている。過去の賑やかさが去り、忘れされた町になるのだろうかとまで思った時だ、「廃市」の場面が浮かんできた。主人公が旅館の窓から運河を見ると、ゆらゆらと舟が曳航している。ギギーという魯の音、川面を照らす提灯の光。「静寂と時間が流れていく」幻想的なシーンだった。その場面と目の前のメコン川がダブって見えたのだ。

 次の早朝、ワット・マニラートが建つ丘に登った。丘から町が一望できた。メコン川が流れ、川向うはタイだ。

境内にはすでに少年僧が托鉢のために30名近く集まっていた。小学生のような幼さでジャレあっている。6時になると青年僧が号令をかけた。漫然としていた少年僧が一列に並び、全員でお経を唱えた後順次階段を下っていた。階段途中にはしばらく前から僧を待っていた。膝を曲げ頭を下げて喜捨の飯を托鉢に投げ入れる。少年僧は凛とした佇まいでそれを受け取った。10年前には多くの観光客が托鉢を見学して僕もその中にいた。が、今はその姿を見かけない。それでも、町の人は昔と同じように喜捨している。托鉢は観光ではなく信仰なのだと気がついたら、以前のように托鉢僧の後を追いかけて写真を撮る事が出来なくなった。僕は、去って行く托鉢僧の背中に呟いた。この町の「思い出」を書き換えたと。

(続く)

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