メキシコ通信

2018年5月16日~5月25日
神原克収

目次

1  旅の概要 2 メキシコで気付いたこと
3 メキシコは親日 4 テオティワカン文明
5 マヤ文明(1) 6 マヤ文明(2)
7 カリスマガイドの主張 8 世界最大のピラミッドは?

1  旅の概要
 今回はロングステイクラブの仲間 34 名の旅である。メキシコに詳しい M 氏に同行をお願いし、キューバは関西の領事業務を引き受けておられる F 氏の助言を頂いた。リーダーは仲間の Y さんにお願いした。




  我々の旅行は基本的には現地集合、現地解散である。
仲間の一人が空港まで来て不整脈が収まらず泣く泣くキャンセルした以外は順調にメキシコシティのホテルに集合した。
2 メキシコで初めて気付いたこと


レフォルマ通り

ホテルの部屋からの眺め

独立記念塔
3 メキシコは親日
 台湾ほどではないだろうがメキシコは大変な親日国である。ついでに言えば反米国である。最初の出会いは 1609 年千葉県御宿沖でスペイン領フィリピン総督のドン・ロドリゴが任務を終えスペイン領メキシコへ帰任途中嵐に遭い座礁した。御宿の人達が救助し、献身的に介抱したのが最初。その際江戸幕府も破格の厚遇で歓待し家康も面会している。翌年ウイリアム・アダムスに造らせた船でメキシコに送り届けた。
 次のエポックは 1888 年の日墨修好通商条約の締結である。当時の日本は欧米列強との不平等条約に苦しんでいた。一方のメキシコはアメリカから独立して間もなく、独立国としての存在感を示すためにも対等な国際条約を結ぶことは意義があった。同時にアジア諸国との貿易拡大を目指していた。ここに日墨両国の利害が一致し、日本初の平等条約が締結された。
 日本は平等条約締結へのお礼としてどこの国にも認めなかった永田町にメキシコ大使館を建てて提供した(現在の大使館も永田町)。
 もう一つ親日の理由は移民団の頑張りであろう。彼らは汗と血と涙の結晶として各分野で成功を収めた。そして「各人の利益は少なくとも、人々が安泰に暮らし、完全な児童教育をなし、100 年後の発展を希望するという遠大なる理想を持ち続けなければならない」という理念を掲げ移民団がそれを実践し、現地に大いに貢献した。
 これらの積み重ねで今日の親日国メキシコが存在する。
4 テオティワカン文明
 メキシコは BC8,000 年ころからトウモロコシの栽培をしていたことが確認されていて早くから文明が芽吹いていたことを物語っている。
 BC1,300 年ころ「巨石人頭像」で有名なオルメカ文明が栄えた。オルメカは既に文字、数字、天文、暦を持つ高度な文明を形成していたがここでは省略する。
 メキシコシティの北東 50Km・標高 2,200mのところにテオティワカン遺跡が残っている。BC2世紀ころの起源と言われ、AD7 世紀ころから衰退しマヤ文明へとバトンタッチして行く。最盛期のAD350~650 年にかけては人口 20 万人を擁しコンスタンチンノープルに伍する大都市であった(当時世界で 2 万人以上の都市はこの2都市のみ)。この街は巨大なピラミッド2基(太陽のピラミッドと月のピラミッド)など巨大石造建築物を残している。
 世界の3大ピラミッドと言えばエジプトのピラミッドだが(1 位クフ王底辺 230m×高さ 146m、2 位カフラー王 215m×144m、3 位メンカウラー王 105m×65m)、最近3位は太陽のピラミッド 225m×65mという説も有力になっていると聞く。
※近年メキシコではチョルーラのピラミッド(400m×55m)が世界一だと主張し始めている。
(後日触れます)
(写真はつぎのページにあります)

(上)太陽のピラミッド (下)月のピラミッド

(左)太陽のピラミッド頂上にて気炎を上げる女性陣 (右)太陽のピラミッドに登る人々
 
5 マヤ文明(1)
 ユカタン半島で4~9世紀に独自の発展をしたのがマヤ文明である。10世紀にトルテカ人進出により弱体化したが、17 世紀にスペインに滅ばされるまで生き延びた。
 巨大な神殿(ピラミッド)建築技術、20 進法やゼロの概念、精密な暦、天体観測、マヤ文字などを持つ高度な文明である。トウモロコシ栽培を中心とした焼き畑農業も盛んに行われた。近年の調査で灌漑用水路が整備されていたことも判明した。
 今回はマヤ文明を代表する 3 つの遺跡を見学した。初期から隆盛期のウシュマル遺跡、初期から隆盛期と 10 世紀トルテカ人進出により下降局面という 2 つの顔を持つチチェン・イツア遺跡、13~15 世紀のマヤ文明末期から終焉を向えたトゥルム遺跡である。
 マヤ文明の特徴はカルスト台地に発展したため川がなく、常に水を求め続けた歴史である。ウシュマル遺跡にはあらゆる建物を飾った夥しい数のチャック(雨神)像で溢れている。
 チチェン・イツアはセノテ(聖なる泉)を中心に発展した街である。チチェン・イツアとはマヤ人の言葉で「泉のほとりのイツア人」という意味である。干ばつや疫病が流行すると生贄や財宝をこの聖なる泉に放り込んで雨乞いをした(1911 年の調査で 42 体の骨が出てきた)。ここでもウシュマル遺跡同様多くのチャック像(雨神)が残っている。

雨の神チャック像

魔法使いのピラミッド、写真中央に階段状に伸びているのはチャック像
 
総督の宮殿(名前は付いているが実際の用途は不明)
 
セノテで泳ぐ人達(セノテはカルスト台地が地下水により陥没して出来る池)
6 マヤ文明(2)
 古代マヤ人は暦により定期的に遷都をしていたため、隆盛を誇っていた旧チチェン・イツアも 8世紀ころ忽然と姿を消した。そして 10 世紀になって再びこの地に舞い戻り、新たな都を築いた(新チチェン・イツア)。しかしこの時にはトルテカ人の影響が強くなり、マヤ独特のチャック像(雨神)に交じり、トルテカ文明の象徴であるククルカン(羽毛の蛇)も数多く残されている。
 ウシュマル遺跡にもチチェン・イツア遺跡にも「球戯場」が残っている。当時の球戯は娯楽ではなく宗教的な意味合いの強い儀式であった。勝ったチームのキャプテンはその栄誉を称えて生贄に選ばれた。生贄は死を意味するものではなく、神に仕え永遠に生きると理解されていた。
 マヤ文明終焉の地トゥルムはそれまでジャングルで紡いできたマヤ文明が最後に辿り着いたカリブ海に面した断崖である。同時期近くの内陸部に栄えたコバー遺跡の補給路の役割も担っていたと理解されている。17 世紀スペインに屈する形で終焉を向えたが、武力で滅ぼされたというより、実際にはスペインが持ち込んだ疫病が原因で滅びたとも言われている。

ククルカンの神殿(右下にククルカンの首が見える)

左)生贄の生首を晒す場 右)ククルカン どちらもトルテカ文化の影響
 
旧チチェン・イツア遺跡にあるカラコル(当時の天文台)
 
新チチェン・イツア遺跡にある戦士の神殿
 
球戯場、左右の壁の中央上部に球戯のゴールが設置されている

球戯のゴール拡大写真 球戯場の両端にはククルカンの頭がある
7 カリスマガイドの主張
 メキシコでは K さんというカリスマガイドのお世話になった。日本人であるが 30 年以上メキシコに住み今や日本人というよりメキシコ人に近い。彼はあらゆる分野で造詣が深く、こんな博学なガイドには初めてお目に掛かった。
彼が主張することが 3 つある。真偽のほどは別にして面白いのでそのままお伝えしよう。
① 「世界最古の文明はメキシコである」。
 諸説あるが世界最古の文明はメソポタミアの5,000年前というのが一般的。次いで4,500年前のインダス文明、3,500年前の黄河文明であろう。ガイド氏曰くメキシコは7,000年前からトーモロコシを栽培していたし、3,500年前には文字・数字・天文知識・暦を持っていた、とのこと。
② 「世界一のピラミッドはメキシコのチョルーラのピラミッドだ」
 これに関しては次回取り上げるが、ネットで見ると彼と同じような見解がいくつかある。
③ 「ゼロの概念発明はメキシコが最初である」
 ゼロの概念発明は従来インドで1,500年前と言われているが、彼はメキシコでは2,300年前にゼロの概念があったという。彼の論拠は長いので省略するが、ネットで見る限り、彼の論に沿った記述は見当たらない。
 以上カリスマガイドの言い分をそのまま伝えたが、真偽の程は別にして彼の言い分は「歴史を作っているのはアングロサクソン人だ。彼らは被征服民メキシコに上記 3 つの《名誉》は認めたくないのだ」と言う。これには結構説得力を感じた。
※今回は写真なし
8 世界最大のピラミッドは?
 メキシコシティの東 120Km にプエブラという観光で有名な街がある。その街の郊外にチョルーラ遺跡がある。一見すると小高い丘で頂上に教会が立っているだけで何の変哲もない。ところが実際は丘全体が巨大なピラミッドだったのだ。今でも丘の下には巨大なピラミッドが眠っている。一部は発掘され観光用トンネルで観ることが出来るが、大半は未発掘だ。
 紀元前 300 年 ころから建造が始まり、7 度の増築を繰り返して紀元 5 世 紀に完成した。スペインが征服後頂上にあった神殿を壊し、その石材を利用して教会を建て、その教会は現在も地元民に使われている。
 ピラミッドの大きさは底辺の1辺は439 m×高さ 59mである。現在世界一と言われているのはエジプトのクフ王のピラミッドでw230 m×h 146 m。それと比べてもチョルーラのピラミッドは高さでは劣るが底辺の大きさでは圧倒している。カリスマガイドが世界一と声高に叫んでいるのも一理ある。体積を計算してみるとチョルーラが約 380 万  、 ㎥クフ王が 260 万  である。
 
小高い丘全体がピラミッドである
 
ミラミッド内部のトンネル

 
山上の教会


エジプト クフ王のピラミッド

 



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